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日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

お江は佐治一成に輿入れしたか ―初婚の真相を探る―

本日放送の大河ドラマ江〜姫たちの戦国〜』で、お江が佐治一成のもとに嫁ぎました。(婚礼は次回ですが)
さて、これがお江の三度のうちの最初の結婚となるわけですが、実のところ史料が少なく、詳しいことはほとんど分かっていません。そのため通説はかなりの部分で推測に基づいています。

通説

  • 【時期】天正11年(1583)後半から翌年初め頃まで
  • 【決定者】羽柴秀吉
  • 【輿入】輿入れした

問題はこの通説に従うと幾つか腑に落ちないことが出てくることです。
まずひとつは、どうして相手が佐治なのかという点。格下云々とよく言われますが、それは正直あまり問題ではありません。それよりも織田信雄の領国である尾張国人領主であることが重要です。この時期は秀吉と信雄が決裂する直前に当たり、なおかつ形式上は信雄が上位に位置する時期でもあるわけで、果たして信雄の頭越しにこのように露骨な縁組政策が行えたものかどうか。
次に、どうして姉二人を差し置いてなのかという点。当時のお江は満年齢でいえば10歳から11歳。政略結婚の実を成すには幼すぎます。4歳年上のお茶々、3歳年上のお初の方が妥当であることは言うまでもありません。
そして最後は、どうして母を亡くしてすぐのこの時期なのかという点。適齢期を迎えているならまだしも、幼少の姫には酷な仕打ちに思えます。また佐治家の先代が信長の娘(お犬)を娶っているので、お江にとって佐治家が親類縁者のような捉え方をする向きもありますが、肝心のお犬が細川信良に再嫁して佐治家には居ないので、そういった見方は適切とは言えないでしょう。


さて、これらの疑問を見事に解決してくれたのが、昨年刊行された福田千鶴著『江の生涯』です。


江の生涯―徳川将軍家御台所の役割 (中公新書)

江の生涯―徳川将軍家御台所の役割 (中公新書)


この本、他にも刺激的な指摘がなされていますがそれはまた追々。福田説をまとめると下記のようになります。

福田説

  • 【時期】天正元年(1573)から翌年まで
  • 【決定者】織田信長
  • 【輿入】輿入れしていない

そうか! 何も秀吉が決めた縁組と考える必要はなかったのだ!!
これまで当然のように、賎ヶ岳の戦い(浅井三姉妹が秀吉の手元に)から小牧長久手の戦い(佐治一成が没落)までの間と考えられていましたが、それがそもそも誤りであったようです。
各種史料には婚儀の時期も決定者も記されていないので、信長存命の頃と考えるのになんら問題はありません。さらに佐治家が選ばれたのも、先代が亡くなってお犬が再嫁したため、再びの縁組を求める佐治家の要望に応じたものと考えれば納得がいきます。
また天正元年生まれで、当時は赤子のお江が選ばれたのは、福田氏が指摘するように、あくまで婚儀をするのみで輿入れは成長後まで先延ばしに出来るためでしょう。当時の織田家と佐治家の関係からして輿入れを急ぐ必要もありません。
つまり現代的観点からすれば婚約したのみ、という状態ということになりましょうか。ただし、当時はそれでも正式に結婚が成り立ったとされるということです。ここもポイントですね。


というわけで、賎ヶ岳の戦い後に秀吉の庇護下にあったお江は、そのまま佐治一成に輿入れすることなく、佐治の没落とともに離婚となった。このように考えるのが最も妥当性が高いと言えるでしょう。