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日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

技巧派縄張の杉山城を歩く

行こう行こうと思い続けてもう何年になりますでしょうか。埼玉県の誇る名城(謎城の方が相応しいか)杉山城にようやく行ってまいりました。行こうと思えばいつでも行ける場所なんですけどね。テヘヘ(* ̄ー ̄)>


杉山城は国指定史跡「比企城館跡群」のひとつ。ちなみにこれで松山城小倉城・菅谷館と合わせて全制覇となりました。
埼玉県民でも知る人ぞ知る、といった感じで知名度の低い城なのですが、高度な縄張から「中世城郭の教科書」と呼ばれ、城マニアには結構知られた存在。そして、その高度な縄張にも関わらず文献史料には一切登場しない謎の城でもあります。また、後北条氏による戦国時代後期の築城と見られていましたが、近年の発掘調査で戦国時代前期(山内上杉氏ないし扇谷上杉氏)の遺物しか出土しないという結果を受けて、歴史的にどのような位置づけをすればよいのかが現在のところ問題となっています。


シンポジウム「埼玉の戦国時代 検証比企の城」/史跡を活用した体験と学習の拠点形成事業実行委員会 - 日本史日誌


(2/5更新完了…冒頭写真は杉山城の空堀と土塁)


大宮から川越線東武東上線を乗り継いで1時間余。最寄駅の武蔵嵐山に到着しました。
菅谷館や嵐山渓谷の最寄駅でもあるので何度も利用している駅ですが、北口に降り立つのは今回が初めて。観光地は駅南ばかりで北側には杉山城くらいしかありませんからね。


歩くこと30分ほどでようやく見えてきました。
杉山城は丘陵地を利用して築かれました。山城に分類されることもありますが、標高差が少ないので丘城と呼ぶのが相応しいでしょう。


南麓の積善寺。この裏手に大手口があります。

杉山城

城の南側、大手口へと進みます。


突きあたりを左へ。曲がった先に大手門があったと考えられます。
これがいわゆる食違い虎口。門に取りつこうとする敵兵の側面を攻撃するための仕掛けです。




虎口だけでなく堀もクネクネと折れ曲がっています。横矢掛かりといって、これも側面攻撃のための工夫。


ただし堀はさほど深くもなく広くもなく。それだけに技巧的な縄張が印象に残ります。


ここは丸太の階段が堀底を通って曲輪を繋いでいますが、かつては木橋が渡されていたようです。


井戸郭(左)と本郭(右)の間にも木橋が渡されていたとみられます。ここは現在階段もないので迂回します。


本郭の西側。空堀と土塁は申し訳程度ですが、急斜面が防御力をカバーしています。


そのまま北端の搦手口へ出ました。堀は浅く狭いですし、直前で道は折れているものの普通の平虎口ですし、南側に比べると格段に防御力が落ちていて、縄張が手抜きの印象。これは敵が南方にあり、南側の防備を重点的に固めたためと考えられます。


引き返して北虎口から本郭へ。ここも平虎口。


縄張が複雑で狭苦しい印象さえ受ける杉山城ですが、本郭はそれなりの広さがあります。


本郭に建つ石碑。「埼玉県」とあるのは長らく県指定史跡だったためですが、2008年に国指定史跡となりました。石碑の建て替えは無いのかな?


続いて本郭の東側へ。こちらもかなりの急斜面。しかも結構な高さがあります。自然のものではなく、人工的に造成したもの(切岸という)でしょう。


東三の郭から本郭方面を望む。中段が東二の郭。


まとめると、南は複雑な縄張で、東西は急斜面(切岸)で防備を固め、北側は最低限で、というのが杉山城のプランだったのだと思われます。
それにしても、名の知れた武将が関わっていたわけでもなく、大きな合戦があったわけでもないこの城が、良くぞこれだけ見事に残っていてくれたものです。もちろん建築遺構は無いので見栄えはしないかもしれませんが、充分に見応えがありました。

東武東上線武蔵嵐山→霞ヶ関)

武蔵嵐山駅へ戻る途中で昼食を済ませ、帰路にひとつ寄り道をば。霞ヶ関駅で下車です。
霞ヶ関といえば外務省などのある中央省庁街が有名ですが、ここは川越市北西部の住宅街。

河越館跡

駅から徒歩10分余。武蔵国の有力御家人河越氏の居館跡です。国指定史跡。
7年ぶりにやって来ました。


館跡の南東部には常楽寺が建っています。
一揆の乱で河越氏滅亡後、室町時代に創建された模様。


常楽寺の西側では発掘調査が行われています。


そして7年前に発掘調査中だった常楽寺の北側は、2009年に河越館跡史跡公園としてオープンしていました。


空堀が復元され・・・めちゃ浅!
遺構は埋め戻されたようなので、遺構の位置表示と雰囲気作りのために極浅の堀が作られたものと思われます。


こちらの舗装は、山内上杉氏陣所の堀跡を平面表示したもの。
戦国時代前期、山内上杉氏川越城の扇谷上杉氏を攻撃する際、この地に陣を構えたのですが、そのときの堀跡とみられる遺構がこの下にあります。


井戸もありました。


遺構はやはりこの下に。


他に、摩訶不思議な塚状遺構などがあります。


最後に、館跡の西端に残る土塁。


連日寒い日が続く中、昼間は割合暖かめでしたが、夕方になると途端に寒くなってきたので今回はこれにて引き上げました。