日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

周遊きっぷ北近畿ゾーンの旅/6日目/豊岡市(旧出石町・旧日高町)

最終日です。GW後半は夏日が続いたこともあって疲労困憊気味。3つの山城登りを始め、ここまでの5日間かなり歩きましたしね(^^;
というわけで、本日は出石散策のみで早めに切り上げることにしたのですが、この旅4つめの山城で大きく消耗することになりました(笑)


(6/12更新完了…冒頭写真は出石の大手前通り

全但バス豊岡駅前→沢庵寺口)

7:00発のバスで出石へと向かいます。乗客は数えるほどでした。豊岡・出石間は周遊きっぷで利用可能のため、別料金はかかりません。
出石までは30分弱。出石城へは終点が至近ですが、先に街歩きをしておきたかったので、ひとつ手前で下車しました。

桂小五郎潜居跡

禁門の変を逃れた桂小五郎出石城下に潜伏。その跡地に「勤王志士桂小五郎再生之地」石碑が建っています。



石碑のある宵田通りは城下町の面影を今に残しています。


こちらは大手前通り。観光地化している感は否めませんが、それもまた良きかな。

辰鼓楼

出石のシンボル。明治時代に建てられた鼓楼です。


大手門跡石碑。辰鼓楼も大手門の脇櫓跡に建てられています。

出石家老屋敷


大手門前駐車場の西隣。仙石騒動で処刑された仙石左京の屋敷跡です。

出石城

有子山の麓に築かれた近世城郭。小出氏・藤井松平氏・仙石氏の居城です。
背後に聳えるのが有子山。山頂には山名氏が有子山城を築いており、出石城築城まで利用されました。


昨秋、補修工事が完了した登城橋を渡って城内へ。


登城橋の下を流れる谷山川。堀の役割を果たしています。


本丸西隅櫓。


本丸東隅櫓。どちらも復元櫓。


残念ながら内部非公開。


本丸跡には、藩主仙石氏の先祖・仙石秀久を祀る小さな社(感応殿)が建っています。


本丸庭園跡(園池遺構)かな?


本丸背後の稲荷台石垣。見事な高石垣です。


稲荷台へ続く朱鳥居の道。


稲荷台には稲荷神社が建っています。

有子山城跡

稲荷神社の反対側。有子山への登山口はこちらです。


この先は苛酷で険しい尾根道を登らねばなりません。
足腰に自信の無い方は、ここで引き返した方が賢明でしょう(^^;


ゴツゴツ岩肌が露出した急勾配の山道が続きます。でも、この辺りはまだ立って登れるのでマシな方です(>_<)


こんな道ですが、「遊歩道」って( ̄□ ̄;)!!


どこまでも続く尾根道、先が見えないので不安になります(--;)


登り始めてから20分ほどで土橋に到着しました。


土橋の左右両側は竪堀となっています。この土橋&竪堀が有子山城の生命線と言っていいでしょう。


さて、この土橋の先が山城登りのハイライト。
これまでの道が可愛く思えるくらいの急峻さで、岩と木の根に(一部はロープにも)しがみついて登らねばなりません。まるでロッククライミング。こっちは高所恐怖症だというのに・・・とはいえ、今更引き返すわけにもいかず、とにかく上へ上へと必死に進んでゆきました。そんなわけでカメラを取り出す余裕もなく、肝心な写真は撮れなかったのですが、あそこばかりは仕方がありません(^^;


登り始めてから約50分。急峻な山道も何とか抜けて、ようやく三の丸石垣が見えてきました。
有子山城は山名祐豊が築城した中世山城でしたが、その後は前野長康・小出吉政ら豊臣大名らが入城しており、織豊期城郭としての姿も見られるというわけです。


かなり残存している三の丸石垣ですが、南側は大幅に崩れていました。


千畳敷。あまりに立派なので、こちらが本丸なのかと思いました。


千畳敷はその名の通り、かなり広いのですが、藪と蜂に阻まれて動き回ることが出来ませんでした。


千畳敷(右)と大堀切を挟んだ西側に位置するのが本丸(左)。


本丸への登り道にもロープが(^^;
まあでも、ロープがあるところは、登りも降りもロープを掴めばいいだけ楽なものです(;´д`)


本丸跡に到着〜。


本丸からの眺望。出石の街が見下ろせる・・・この風景を見られただけでも、頑張った甲斐があったな、そんな気持ちになります(^-^*)


辰鼓楼も確認できました。


さて、登ってきたのはいいものの、あの道を降りるのは至難困難。どうしよう?
そこで、思い切り遠回りになりますが、東側へ続く道を進むことにしました。この時点ではどのくらい遠回りになるかは分からなかったのですが、とにかく先ほどの道を降りていくのは怖かったのです(>_<) こちらなら轍もあることですし、少なくとも這いつくばる必要はないないだろう、と(^^;


40分ほど歩いて、ようやく東側の登城口に到着。ここから出石の街までは、さらに40分ほどかかります。歩き疲れましたけど、しっかり立って歩ける道は安心ですね(^。^;)

加藤弘之生家

出石城下の東はずれに初代東大総理(帝大総長)を務めた加藤弘之の生家があります。


建物は改修されてはいますが当時のもの。


晩年の加藤弘之胸像。

経王寺

出石城東方の出城的役割を担ったという寺院。隅櫓のような鐘楼が目印。

辰鼓楼周辺


街中に戻ってきました。たくさんの観光客が押し寄せてきていて、朝の静けさがまるで嘘のようです。


歩き疲れてお腹もペコペコ。そろそろお昼、ということで、昼食は出石名物の皿蕎麦。観光客もたくさんですが、蕎麦屋もたくさんあるので、すんなり食べられました。

全但バス(出石→江原駅

12:18発に乗車。レンタサイクルで出石神社や此隅山城へ行くことも頭にあったのですが、有子山城で時間と体力を削られて、動き回る気力ももうありませんので、今回はこれで出石を後にすることにしました。
ちなみにこのバス、GWなのに全区間貸切状態でした(^^;

但馬国分寺跡

江原駅から徒歩5分。国指定史跡。


回廊跡。塔跡は見逃しました(+_+)


現在の但馬国分寺。

山陰本線(江原→豊岡)

13:09発の普通列車で豊岡に戻ります。

特急北近畿14号(豊岡→新大阪)

豊岡駅のコインロッカーに預けておいた荷物を取り出し、13:41発の特急に乗車。
早いですが、もう帰還します(^^; 終点新大阪には定刻より10分以上遅れた16:40頃到着。

東海道新幹線のぞみ248号(新大阪→東京)


17:07発に乗車。自由席ですが、新大阪始発の列車なので問題なく確保できました。京都からは立客も出るほどでしたが。
夕食は、豊岡駅で購入した「かにずし」。
東京到着は19:43。21時前には帰宅できました。