周遊きっぷ北近畿ゾーンの旅/2日目/篠山市・福知山市・綾部市・舞鶴市
2日目は北近畿ゾーンへ突入しました。まずは丹波篠山からスタート。
そして午後は、福知山・綾部・西舞鶴(田辺)と廻りました。
(5/15更新完了…冒頭写真は篠山城大書院)
福知山線快速(大阪→篠山口)
6:43大阪発福知山行き快速に乗車。ゴールデンウィークとはいえ、平日なので通勤通学客で混んでいます。10分以上前に行って並んでいたおかげで、座席は確保できました。
1時間余りで篠山口駅到着。駅構内のコインロッカーに荷物を預けて西口のバス乗り場へ向かいました。
神姫グリーンバス(篠山口駅→二階町)
8時ちょうどバスに乗車。やはり平日のためか、車内はほぼ満席でした。
定刻より5分ほど遅れた8:20頃に目的地到着。二階町バス停が篠山城最寄となります。そして篠山の中心街でもあり、ここでほとんどの乗客が降車しました。
篠山城跡
消滅した大手馬出跡を通過して、二の丸北虎口前に到着。
内堀はあまり広くありません。犬走*1が設けられているのは、藤堂高虎による縄張りの特徴です。
いよいよ虎口へと潜入。この虎口は要注目。
土橋を渡ると、まずは正面に表門跡があります。
表門跡の奥は枡形となっています。経路は右手に折れ、枡形の奥が中門跡です。
中門跡を過ぎると再び枡形。そう、ここは枡形が二重に設けられているのです。連続枡形虎口とでも言いましょうか、他ではちょっと見られない珍しい構造。
虎口へ続く土橋も、かつては廊下橋だったそうで、実に強固な防御ラインとなっていました。しかも外枡形なので、攻撃拠点ともなります。シンプルですが実に奥の深い縄張です。
さて、ふたつ目の枡形で経路は左手に折れ、その先が鉄門跡です。
鉄門跡には現在冠木門が構えられており、この先がようやく二の丸。正面奥に見えるのは大書院玄関です。
大書院の開館時間(9:00)まで少し時間があったので、先に二の丸および本丸を見学。
復元された大書院以外の二の丸御殿は、間取りが平面表示されています。
広々とした二の丸跡。築城当初はここが本丸とされました。
二の丸の石垣上から西南方向を眺める。本丸・二の丸の周囲は内堀を挟んで三の丸がグルッと巡っています。
現在の三の丸は、東側に小学校と幼稚園、北側に三の丸広場、西側が駐車場とゲートボール場になっています。南側は工事中でした。
そして二の丸の東隣が本丸。二の丸との間はこうして石垣で仕切られています。
本丸跡に鎮座する青山神社。最後の篠山藩主家である青山家の遠祖・青山忠俊と青山家中興の藩主と称された青山忠裕を祭神としています。
本丸跡の木立の奥に天守台があります。天守は築かれませんでしたが、築城当初は殿守丸と呼ばれています。
開館時間となったので大書院へ。平成12年に木造復元されました。
戦前までは現存したのですが、残念ながら昭和19年に失火で焼失。戦火ではなく失火でというのは、何とも悔しいですね。
入館料は400円。
本格的に復元されています。
ただし照明は電灯・・・あまり目立たぬような装飾にされていますが。
また、史料が無く、不明なところは復元しない主義を貫いています。そのため障壁画や襖絵がなく、無地の部分が多いので、全体的に簡素な印象を受けました。
上段の間。
孔雀の間。
虎の間。ここは市民の文化活動にも利用されるため、天井にも照明が。
一旦城外へ出て、大正ロマン館向かいの観光案内所でレンタサイクルを利用(3時間400円)。
まず春日神社へ向かい、それから篠山城三の丸跡を廻りましたが、篠山城関連を先に御紹介しておきます。まずは外堀の東に構えられた東馬出。
続いて三の丸西側へ。内堀沿いに八重桜が咲いていました。
内堀越しに見る二の丸石垣。
三の丸の周囲は石垣ではなく土塁が廻っています。
本丸南側の高石垣。右奥が天守台です。
三の丸南側の外堀。狭い内堀とは対照的な広さ。
最後に南馬出。
八上城跡
篠山城から東へ3kmほど、自転車で20分ほどのところに丹波富士と称される高城山が聳えています。この山に築かれたのが八上城。丹波の有力国衆・波多野氏の居城です。明智光秀が攻め落とし、丹波平定を成し遂げたことでも知られます。
麓の登城道入口。説明板があります。右奥に見える骨董店「国宝堂」が目印。
朽ちかけの春日神社を横目に、
山道へと分け入っていきます。
平成三年建立の前田主膳正供養塔がありました。
前田主膳正とは、最後の八上城主・前田茂勝のこと。前田玄以(豊臣五奉行のひとり)の子で、丹波八上5万石の藩主でしたが、発狂の末に改易。八上領は松平康重に与えられ、天下普請によって篠山城が築かれるに及んで八上城は廃城となっています。
ちなみに、この供養塔のある平場一帯は、茂勝によって築かれた居館跡で、主膳屋敷と呼ばれています。
主膳屋敷跡を過ぎると、いよいよ本格的な山道。道は整備されていて歩きやすいです。ただ、あまりに身体が鈍っていたのか、かなり息が上がってしまいました(^^;
見晴らしの良い下の茶屋丸跡で、一息つく。しかし本丸まではまだ半分も来ていません。
右衛門丸跡では僅かながらも石垣を目にすることが出来ました。
二の丸跡。正面奥の高台が本丸です。あと少し!
麓から登ること約30分で本丸跡に到着。中央に建つ石碑は「贈従三位波多野秀治公表忠碑」。
本丸跡から麓を見下ろす。えらい高いところまで登ってきたんだな、と実感させてくれる眺めです。
下りは、麓まで20分ほど。麓に辿り着くと、膝が笑っていました。足が痛むことはあっても、膝が笑うことなんて今までなかったので、ちょっとビックリです。
その後は、自転車をえっちらおっちらと漕いで、篠山市街へと戻り、昼食に牛トロ蕎麦をいただきました。
特急北近畿7号(篠山口→福知山)
篠山口からは周遊きっぷのゾーン内。ゾーン内は特急自由席乗り放題ですから、もちろん特急に乗り込みます。平日昼間の特急は空いていますね。福知山駅到着は13:44。
福知山は本日の宿泊地。駅前の宿に荷物を預けてから福知山城へと向かいました。
福知山城
ゆるやかな登城路を進むと、
あっという間に本丸到着。天守は昭和61年に外観復元された鉄筋コンクリート製です。板壁の色合いが、そこはかとなく風格を漂わせています。
広場にはたくさんの石塔が置かれていました。石垣として使用されていた転用石です。
銅門番所。二の丸登城路から本丸跡へと移築されたものです。
しかしこの天守。望楼型とはいえ、ちょいと不格好。この東面は特に(^^;
ともかく中へ入ります。入館料310円。
コンクリ復元天守の御多分に漏れず、内部は資料館になっています。
そして勿論最上階は展望台に。北西の方角に市街地が広がっています。
福知山城は明智光秀の築城。今でも福知山では光秀人気は高く、こんなキャラクターも。
「光秀くん」と「ひろこさん」。「ひろこさん」というのは光秀の妻・熙子ですね。忍たま乱太郎の作者・尼子騒兵衛さんデザインで、「光秀くん」が何度見てもしんべえにしか見えませぬ(--;)
城の東方、昇龍橋のたもとから彼方に天守を仰ぎ見て、ひとまず駅へと戻ります。
特急きのさき8号(福知山→綾部)
15:48発の京都行き特急に乗車。国鉄色でした。
ちなみに北近畿ではこのオールドタイプの特急がたくさん走っています。来春には新型車両が投入されるそうですが。
10分足らずで綾部駅に到着。雨がパラパラと降り出してきました。傘は宿に置いてきちゃった(>_<)
大本本部(梅松苑)
大本教発祥の地。大本教は100年以上の歴史があり、新興宗教と呼ぶのはちょっと相応しくないのですが、代表的な新興宗教といったイメージがあり、閉鎖的だったらどうしようと一抹の不安を抱えつつ訪れてみたところ、全くの杞憂でした。
こちらを訪ねたのは、敷地内に移築されている重要文化財の旧岡花家住宅(木の花庵)を見学するため。
邸内は薄暗く、手ぶれ補正があっても、フラッシュを焚かないとなかなかに厳しい。
茅葺き屋根の耐久性向上のため、囲炉裏では火を焚いていました。
舞鶴線(綾部→西舞鶴)
雨が遂に本格的に降る中、綾部駅へ歩いて急いで戻り、16:55発の東舞鶴行き普通列車に乗車。それにしても、こんなところで湘南カラーの列車に出会うとは。
西舞鶴駅へは20分ほどで到着。しかし雨は最早夕立レベルの激しさで、どうしたものかと駅構内で外の様子を見守っていたところ、20分くらいで弱まってきたので、意を決して駅を飛び出したのでした。
田辺城跡
駅から歩いて5分ほど。雨もほとんど上がりました。
田辺城は細川幽斎が築城。関ヶ原の戦いの際に、東軍に与して小勢で籠城したことで知られます。
平成4年に復元された本丸城門。
城門の向こうに見える二重櫓は、戦前に建てられた彰古館。
こちらは天守台。
普通の池にしか見えませんが、本丸堀の一部だそうです。
こちらは城内の庭園・心種園。
心種園のたもとには、古今伝授の松と歌碑。
特急タンゴディスカバリー4号(西舞鶴→綾部)
夕立から一転して青空に。全面ガラス張りの西舞鶴駅にもちょっと驚き。
18:14発の京都行き特急に乗り込み、18:31に綾部駅到着。丸顔の可愛い車両でした。
綾部では、豊岡発(北近畿タンゴ鉄道経由)の列車と連結します。
福知山城
宿にチェックインを済ませてからライトアップ撮影にやって来ました。
これにて2日目は終了ですが、早くも足が痛むようになってきました。昨日、大阪で歩き回ったのと、本日の八上城歩きがかなり効いたみたい。まだ先は長いので、今後に不安を抱えることに(;^_^A
*1:石垣の下に隣接した細長く狭いスペース