日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

ツーデーパスの旅〜両毛・常総編/1日目/太田市・足利市・佐野市・岩舟町・桐生市

シルバーウィーク後半の予定はキャンセルして、連休明けのこの土日にスライド。
とはいえ、そのままでは芸がないので、初日の予定は大幅に変更。駅レンタカーが借りられたので、両毛地域をめぐることにしました。お目当ては関東でも有数の山城である金山城と唐沢山城です。ともに訪問済みの場所ではありますが、写真をあまり撮っていなかったので、この機会にじっくり撮っておこう、というのが狙いです(・_☆)キラン


(11/5更新完了…冒頭写真は太田金山城の大手虎口石垣群)

高崎線(大宮→熊谷)

今夏発売されたツーデーパスを、利用最終期限のこの土日にようやく駆け込み利用(^^;
このツーデーパス利用者も駅レンタカーが1日2000円で利用できます。連休中はどこも予約で埋まっていましたが、連休明けなら大丈夫ということで、熊谷まで行ってレンタカーを借りることにしました。
というわけで8時過ぎに熊谷を出発。ちなみに相も変わらずペーパードライバーで、地元以外を走るのは3月以来です(^^;;; でも前回の経験があるので幾分気持ちに余裕はあります。

9:00 太田金山城跡

金山城は国人領主由良氏の居城。上杉謙信の攻撃も退けた堅城で、関東七名城のひとつにも数えられる山城です。関東の戦国期城郭としては珍しく大規模な石垣群が見られるのが特徴。
山上まで車道が延びていて、駐車場もバッチリ完備されているので、車だとホントに便利。逆に車でないと、駅から遠いし不便です(^^;



無骨な山城に咲く彼岸花は一際目を引きました。


月ノ池の向こうが、実城(城の中心部)。


実城大手虎口の石垣群。上部は復元整備されたものだそうですが、なかなか見事なものです。



金山城は戦国時代末期に後北条氏の直轄となり、後北条氏の滅亡により廃城となりました。石垣は後北条氏によって築かれたとみられています。


こちらは日ノ池。その出土遺物から、日ノ池と月ノ池は飲料用ではなく、戦勝祈願などの儀式を行う神聖な池だったとみられています。


本丸とされる山頂には現在、新田神社が建っています。築城者の岩松氏(由良氏の主君)が新田一族だったことによるものでしょう。


もちろん眺望や良し。


さて、金山山麓には金山城跡ガイダンス施設が今年5月に出来たそうなんですが、だいぶ時間が押しているのでパス。熊谷から太田までの移動が思ったより時間かかって(^^;

11:00 樺崎八幡宮

太田から足利へ移動。ここは駅から遠いので、やはり車でないと不便な場所です。
当地は足利氏歴代の廟所を擁した樺崎寺跡(国史跡)で、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、神社として現在に至ります。


市指定文化財の本殿。



多宝塔跡や廟所跡は、数年前に訪れたときは工事中でしたが、それも終わって綺麗に整備されておりました。


浄土庭園の園池はまだ整備途上といった感じ。



続いて足利から佐野へ。

11:50 唐沢山城跡

太田金山城と同様、こちらも関東七名城のひとつ。攻め寄せた上杉謙信を幾度も退けたという共通点も。そしてここも車で山上まで行けて、駐車場も完備しています。
駐車場からすぐのところに大手枡形虎口がありますが、ここの石垣は残念ながら近代以降に積まれたものです。


大手枡形虎口すぐそばの天狗岩。


天狗岩からは南西方面が望めます。


ちなみに本丸の南に位置する南城からは、天気が良ければ東京の高層ビル群が見えるとか。


大手枡形虎口から近いところにある大炊の井戸。井戸といってもその規模からして貯水池とみるのが妥当でしょう。太田金山城の日ノ池・月ノ池と同様、こちらも祭祀が行われた場所とみられます。


三の丸下の堀切。唐沢山城は基本的には東国的な土造りの城です。




しかし本丸周辺は様相が一変。この石垣は、小田原合戦後に入城した天徳寺宝衍*1によって築かれた織豊系の石垣です。まだまだ発展途上の様相を見せていますが、太田金山城の石垣より遙かに高く積まれていることが分かります。


本丸跡に鎮座する唐沢山神社は城主佐野氏の先祖藤原秀郷を祀っています。

13:15 村檜神社

唐沢山城の東北約2.5km、鬼門にあたるので鎮守として崇敬を受けた神社です。唐沢山からは南へぐるりと大回りせねばならないので、案外時間がかかります(^^; とりあえず途中、佐野ラーメンで昼食に。



戦国時代に建立された本殿は重要文化財



ここからは足利・太田へと引き返して、地味に国指定史跡の古墳めぐり。

14:15 藤本観音山古墳


14:55 女体山古墳


15:00 天神山古墳


15:40 上野国新田郡庁跡

続いても国指定史跡。古代郡衙遺跡ですが、発掘後に埋め戻されて現在は野原が広がるばかり。
即席看板の読み仮名が剥がれ落ちているのが何とも哀愁を誘います(--;)



この周辺には新田氏関連の史跡が盛りだくさんなのですが、残念ながら今回は時間が足りませんでした。いつかたっぷり時間を取って訪ねたいと思います。

16:10 彦部家住宅

レンタカー乗り捨て先の桐生へと向かい、最後に重要文化財のこちらのお宅へ立ち寄りました。
見学は16:00までとあり、これはだめか・・・と思いつつも行ってみると、門が開いていました! 受付でも快く入れていただいて、ホッと一安心(^。^;)




江戸時代前期の主屋は、まさに豪農の屋敷といった趣ですが、ただそれだけではなく、畳敷きの座敷を備えるなど、農家らしからぬ格式を誇っています。何でも、彦部氏はもともと武家室町幕府に仕え、戦国時代に関東に下向して土着。関ヶ原の戦いの際に徳川方に竹竿を提供した功績で優遇措置を受けたとか。
彦部氏は高氏*2の庶流で、高師直らの滅亡後も室町幕府に奉公衆*3として仕え、戦国時代に近衛前久の関東下向に付き従い、前久の帰洛後も留まって土着したようです。なるほど、これはただの豪農ではありません。
さらに凄いのは子孫がまだお住まいであること。しかも案内して下さったのが子孫の方でした。話を伺っていて、途中から何となくそんな気はしてたのですが(^^;


屋敷の裏には空堀が残っていました。かなり保存状況はよく、個人宅にこれほどの空堀がみられるのは希少でしょう。


主屋に併設する織物工場だった建物。近代には織物業も経営していたようです。桐生ですから当然絹織物です。


見学後はお茶もいただいてしまいました。もう少しゆっくりしたいところでしたが、レンタカーの返却時間が迫ってきたので、お礼を述べて辞去。

両毛線(桐生→小山)

18:00前にレンタカーを返却。駅前は混んでいるかもと不安でしたが、杞憂でした。むしろ賑わいに欠けたのでちょっと心配も(^^;
何はともあれ、二度目のレンタカー走行も無事終了。今回の走行距離は約120kmでした。


そして桐生からは水戸へ向かって電車移動開始。まずは17:58発の列車で1時間かけて小山へ。

水戸線(小山→水戸)

小山からは19:09発の列車に乗り込み、1時間20分かけて水戸到着。今宵は水戸泊です。

*1:城主佐野氏の庶子。宗家が後北条氏に従属したため出奔し、織田政権・豊臣政権に仕えた人物。

*2:「タカウジ」ではなく、高師直で有名な「コウシ」

*3:将軍直臣。江戸幕府でいう旗本のようなもの。