日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

天地人 第27回「与六と与七」

先週放送分です。


いつもどおりスルーするつもりでしたが、聚楽第のCG*1が出ていたと桐野作人・中村武生両氏のブログで知り、どうやらその場面を見逃していましたので、その部分だけ録画を確認したのでした。
ちなみに大河ドラマ聚楽第CGには先例があります。『功名が辻』です。まあ、覚えておられる方は少ないと思いますが。


功名が辻 第34回「聚楽第行幸」 - 日本史日誌


最初は、どうせ『功名が辻』のときの使い回しだろう、と思っていたのですが、使用された2カットのうち1カットは修正がなされており、さらにもう1カットは全くの初見のものでした。
まず修正された1カット目。東からと思しき遠望のCGで、『功名が辻』では姫路城に似たものとなっていて、かなり違和感があるものでしたが、今回は幾分かマシなものに修正されていました。


まず、違和感の元凶だった小高い丘が削られ、洛中らしく平城へと変貌。さらに大天守に連結していた小天守が省かれました。気付いたところはこの2点だけですが、これだけでもだいぶ良くなりましたね。ただ、東寺五重塔と思しき画面左端の塔はやっぱり謎なんですが。東寺には当時、五重塔はなかったそうで(笑)


続いて聚楽第を上方から俯瞰した2カット目。『功名が辻』では無かったものでした。ちなみに『功名が辻』で使用されていた西本願寺飛雲閣の前面を中央にデンと据えてバックに天守を配置したCGは今回ありませんでした。
さて今回の聚楽第俯瞰CGですが、これは中村氏が指摘するように幕末に描かれた「豊公築所聚楽城之図」と同様の構図になっています。中村氏はこれを北東からの鳥瞰図としているが、「豊公築所聚楽城之図」に記された方位に拠るならばこれは「南東」からの鳥瞰図ではないか。天守は北西に位置しており、この点に関してCGは正しく考証されているといえる。
ただ、そうなると遠方に描かれた塔(これまた東寺五重塔を思わせる)は北山あたりのものだろう。しかしそのような塔が当時あったかどうか。現在も無いような。
またこれが北東からの鳥瞰図だとしても、東寺聚楽第のほぼ真南にあるので、聚楽第の縄張が斜めにずれてしまうことになる。
いずれにしても、こちらのCGは考証が中途半端ですから、再来年の大河ドラマで修正版をお願いしたいところです。

*1:中村氏の指摘では、模型をではないか、とのことでしたが、私の眼力では判別できず。