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日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

北条時政邸跡ではなかった…名称変更、地図も書き換えへ

神奈川県鎌倉市で、鎌倉幕府の初代執権北条時政の館があったとされ、ガイドブックなどにも紹介されている場所は、時政の邸宅跡ではなかったことが市教育委員会の発掘調査でわかった。

(中略)

だが、市が土地を所有する企業の協力を得て昨年7〜11月に発掘調査したところ、最も古い遺構でも13世紀後半で、13世紀前半に没した時政の邸宅としては矛盾することが判明した。
発掘では、火葬が行われた痕跡が確認されたほか、周辺には複数の建物跡や、納骨などでがけを掘って造った「やぐら」と呼ばれる横穴が新たに見つかった29基を含め計64基確認されるなど、遺跡は未知の廃寺の可能性が高いと分かった。
周辺は、所有企業ががけ崩れの恐れがあるなどとして一般の立ち入りを禁じているが、市は「中世の風景がそっくり残されているのは奇跡的」として、土地を買い取って一般公開することも検討する。
(読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090619-OYT1T00540.htm?from=main6

釈迦堂切通の近くですよね。釈迦堂切通は一度だけ訪れたことがあります。名越邸に比定されていた平坦地の場所は把握できませんでしたが。



大きな地図で見る


それにしても、そこが否定されるとなると名越邸は一体何処にあったのでしょうか?
名越邸というからには名越切通の近くかな?
そもそも釈迦堂切通と名越切通は随分離れているのにどうしてあそこに比定されたのだろう?
これは「名越」の地名論にも関わる問題か。「名越」とは本来どのあたりを指しているのだろう?


何はともあれ、一般公開には期待しちゃいます。