周遊きっぷでいこう!山陰紀行/7日目/鳥取市
最終日は鳥取城をメインに鳥取市内を観光。長旅の疲れもありましたが、最後の力を振り絞ってきました!(-o-)/
(6/2更新完了…冒頭写真は仁風閣と鳥取城山下の丸石垣)
8:30 仁風閣
北の御門跡から鳥取城内に入城。まずは扇御殿跡に建てられたこちらの洋館へ。
明治40年(1907)に建てられた旧鳥取藩主池田家の別邸。重要文化財。
この年の皇太子(後の大正天皇)山陰行啓の宿所として、池田仲博侯爵が建てたものです。ちなみに池田仲博は徳川慶喜の五男。先々代(慶徳)が慶喜の兄という縁もあって養子に迎えられました。
背面側に回ってみました。開放的な2階のガラス張りが印象的。
幕末に造営された宝隆院庭園。洋館ともマッチしています。
入口が開いていたので、ふらふらと入館・・・まだ開館時間前でしたが、入れてもらえました(^^;
東京原宿屋敷で池田仲博が使用した書斎机。
東郷平八郎の直筆。皇太子行啓に随行し、仁風閣と名付けたのは彼だそうな。
御寝室。畳敷きなのに洋風の内装という珍しい部屋です。
9:40 鳥取城跡
そろそろ城跡の散策へと向かいます。
こちらの城門は現在唯一の城郭建築物。昭和の再建だったりしますけどね(^^;
どうせならもっと城郭らしい本格的な復元をやってもらいたいところですが、平成30年度までに中の御門〜太鼓門にかけてを復元整備するそうなので、そちらに期待してみましょうか。
二の丸の高石垣。自然な感じがグッド!
こちらは二の丸の御三階櫓(天守代用)の石垣。
隅角部は最近補修したのかな? もう少し目立たないようにすることは出来ないものだろうか。
御三階櫓跡からの眺め。ここでもそこそこの眺めですよ。
菱櫓跡。
菱櫓跡から背後の天球丸の石垣群を眺める。この辺りの石垣は壮観で見ごたえがあります。
天球丸周辺も工事中なのか、石材がゴロゴロ転がっていて、天球丸跡も立入禁止になっていました。
ここから先は本丸目指して山登り。疲れが残る身体には応えます(>_<)
30分弱でようやく本丸に到着。
本丸奥には天守が建っていました。当初は三重櫓、のち二重櫓に改修され、落雷で焼失。
まあとにかく眺望は抜群です。ちょっと天気が残念ではありますけど(-"-;)
彼方には鳥取砂丘も望めます。
この後は秀吉が鳥取城攻めで本陣を置いた太閤ヶ平へ向かう予定でしたが、とてもそんな元気ないよ、ってことで、今回は断念(>_<)
そのまま来た道をとって返して下山しました。
12:20 観音院庭園
国指定名勝の池泉観賞式庭園。拝観料600円(抹茶付)。
私好みの素敵な庭園にも関わらず、静けさと陽気と疲れが相まって眠たくなってしまいました。勿体無いことこの上ない(-_-)
アヤメでしょうか。
一見穏やかな庭園も、よく見ると池の片隅では激しい鯉のバトルが!
13:15 鳥取藩主池田家墓所
自転車での移動中もボンヤリ気味。到着したときは眠くて仕方なかったのですが、しばらくするとアラ不思議。いつの間にかシャキッと元気に復活してました。これがパワースポットというやつなのか、はたまた単に私が墓マニアなだけなのか(;^_^A
こちらには、初代光仲から十一代慶栄までの歴代藩主とその子女、一門当主の墓が立ち並んでいます。かなりよく整備されており、立派なパンフレット(しかも無料)まで設置されていました。国指定史跡。
14:00 伊福吉部徳足比売墓跡
国指定史跡。それは無量光寺の裏山にありました。人など滅多に訪れなさそうな藪に覆われた山道の奥、ところどころの案内表示がなければ絶対に引き返していましたよ(^^;
江戸時代後期、この場所から骨蔵器を納めた石櫃が出土。刻まれていた墓誌から、それが和銅元年(708)に亡くなって火葬された伊福吉部徳足比売のものだと判明したそうです。骨蔵器は東京国立博物館にあるとか。
新幹線のぞみ138号(姫路→東京)
18:44発で帰京。帰宅は23時近く。
ひさびさの長旅に疲れましたが、収穫も多い充実の一週間でした。