日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

周遊きっぷでいこう!山陰紀行/4日目/安来市

今日は島根最終日。この日のお目当ては、庭園日本一の足立美術館に、日本五大山城のひとつ月山富田城です。


(5/23更新完了…冒頭写真は足立美術館枯山水庭)

特急スーパーまつかぜ4号(松江→安来)

松江8:00発の特急に乗車。安来は次の停車駅で、到着まで15分。

春の観光地めぐり安来周遊バス

予定していた足立美術館の無料シャトルバス始発便が9時過ぎなので、それまでどうしようかと思っていたところ、思いがけぬ幸運が待っていました。
何と5月3日から5日までの3日間、観光協会の無料周遊バスが運行するとのこと。しかも始発便は8時半\(^o^)/ワーイ
これは天の助けとばかりに早速マイクロバスへと乗り込みました。先客が1人おられただけで、バスはそのまま出発。たくさんのパンフレット類をいただき、ガイドの方のお話に耳を傾けていたら、あっという間に目的地に到着です。

8:55 足立美術館

米誌の日本庭園ランキングで6年連続日本一(2003-2008)、そしてミシュラン三つ星に評価されるなど、いま最も輝いている日本庭園が、ここ足立美術館の庭園です。
その美しい庭園の写真は別記事にまとめましたので、そちらもご覧下さい(^-^)


足立美術館の庭園写真一覧 - 日本史日誌


さて、開館時間(9:00)前に到着したわけですが、ゴールデンウィークのためか、早くもかなりの混みよう(>_<)
たくさんの人が来館するのでかなり早めに開けたのでしょうね。枯山水庭をガラス越しに望むロビーもご覧のとおり。


床の間の壁をくり抜いて、庭園を掛け軸に見立てた「生の掛け軸」も、手前に人々が行ったりきたりするので趣はイマイチ(^^; できれば、空いているときに再訪したいです。快晴ならなおよし。


美術館ですから、館内では近代日本絵画などの展示がおこなわれています。しかしそちらは撮影不可。


ちなみに入館料はちょっとお高い2200円です(^^;
先ほどの周遊バスでもらったパンフレットの割引特典で1割引の1980円になりました。それが無くとも公式サイトへ行けば、200円引きの割引券があります。

安来周遊バス

第2便に乗車。今度はたくさんの乗客を乗せてやって来ましたが、清水寺へ行くというお一方を除いて皆さん足立美術館で下車。そりゃそうなりますわな。
というわけで、再びガラガラなバスに揺られ、次の目的地である月山富田城を目指します。麓にある道の駅広瀬富田城が停留所。ここで下車。


富田城へ向かう前に、まずは北麓の新宮谷を目指すことにしました。旧広瀬町のパンフレットを片手に歩いていきます。このパンフレット、なかなか良くできていて助かりました。

10:45 毛利元秋墓

毛利元就の五男で月山富田城主となった人物。墓は藪の奥に隠れるようにひっそり佇んでいました。

10:55 新宮党館跡(太夫神社)

尼子経久の次男国久は、ここ新宮谷に居を構え、新宮党と呼ばれる有力一門を形成しましたが、その権勢を恐れる尼子晴久によって族滅の憂き目を見ました。これは毛利元就の謀略とも言われています。


新宮谷の風景。今は田畑が広がり、あまりののどかさに眠たくなってしまうほど(-_-)zz
新宮谷にはこの他、山中鹿之介の生誕地や、堀尾忠氏の墓などがありますが、時間的にみてカットさせていただきました。

11:15 松平直諒墓

城安寺(広瀬松平家菩提寺)向かいの高台に広瀬藩9代藩主の墓があります。
広瀬松平家は、松江松平家の分家で、3万石を分与され、当地を治めていました。
歴代藩主で直諒のみここに墓が建てられたのは、在国中に亡くなったのが彼だけだったため。ま、御家門の小藩ですから、藩主はほとんど江戸暮らしで、お国入りすることなど滅多に無かったでしょうから。

11:30 巌倉寺

これより月山富田城内。
境内裏手には出雲太守堀尾吉晴の墓。さすがの巨大五輪塔です。


さらにその脇には、堀尾吉晴室によって建てられたという山中鹿之介の供養塔が。こっちは小さめ。

11:40 月山富田城跡

太鼓壇に立つ山中鹿之介像。没後400年記念に建てられたもの。
七難八苦を与え給え、と月に祈るお馴染みのポーズ。


花の壇には侍所の建物が復元されています。


山中御殿跡の石垣。


中腹に平地が広がる山中御殿跡。ここが城の中心部。


山中御殿より奥、山頂へと向かう七曲がり道。険しい道のりですが、道は石畳が整備されているので歩きやすいです。ただし、下りは滑りやすいので要注意!


山頂部に到着! 三の丸跡の石垣がお出迎え。


さらに奥の二の丸跡からの眺望。彼方には中海も。
なかなかの眺めですが、惜しむらくは薄曇りのこの天気(-"-;)


大内義隆毛利元就が本陣を置いた京羅木山も見えます。指呼の距離ですな。


その二の丸跡。石垣が築かれています。


二の丸と堀切ひとつで隔てられた本丸跡。
山頂部の本丸・二の丸・三の丸ですが、居住区ではなく非常用の詰めの城ですね。


さて当初の予定では、本丸からさらに奥へ進んで東南麓の尼子晴久墓まで降りる予定でしたが、時間と
体力を考慮して本丸から引き返しました。


山中御殿跡から大手門跡を通って下山。
城内にはたくさんの石垣がみられましたが、これらは関ヶ原合戦後、松江城築城までの一時的に入城した堀尾吉晴・忠氏父子によって築かれたものだと思われます。


飯梨川対岸、富田橋のたもとから月山を遠望。
右側にぽっこり出ているところが本丸などの山頂部です。


ちなみに、月山富田城登頂により日本五大山城制覇となりました。ただ、これは気にしていなかったので後日気が付いたのですが(^^;
そもそも他の4ヵ所(春日山城・七尾城・小谷城観音寺城)は2002年までに制していたのです・・・まー、その分、たいした写真が撮れていないので再訪せねばならんですね。

13:25 富田八幡宮

悪七兵衛景清が、富田城築城に際して月山より移転させたという伝承をもつ神社。


社殿は県指定文化財です。

13:55 洞光寺

戦国大名にのし上がった尼子経久の墓(左)と、その父清定の墓(右)。


振り返ると、そこには月山富田城の全景が。

安来周遊バス

旧広瀬町の中心街に食事処が見当たらず、今日もまた昼飯食べ損ねかと焦りましたが、ショッピングセンターに入っていた小さなレストランを見つけ、無事昼食にありつけました(^。^;)
昼食後は道の駅広瀬富田城に戻り、15時過ぎの第4便に乗車。


バスが残り1便。雲樹寺と清水寺、行けるのはどちらかひとつだけ。選んだのは清水寺。こちらの方が見どころが多そうだったので(^^;
で、スルーとなった雲樹寺ですが、バスはお目当てだった四脚門(重要文化財)の前に停車。「おっ、これなら写真撮れるじゃん」とカメラを構えてシャッターを押す直前、無念の発車。お陰で構図がズレてしまいました(T-T)

15:30 清水寺

そしてやって来たのがこちら。
京都の清水寺に敵うべくもありませんが、山岳寺院の割にこちらも参拝客が多いです。


といっても辛抱強く粘れば、お目当ての場所でも人影をいれずに撮影することが出来ました。
こちらは重要文化財の根本堂。


そして県指定文化財の三重塔。この三重塔は登ることが出来ます。200円。
非常に珍しいですね。三重塔や五重塔はたくさん見てきましたが、八坂の塔くらいしか記憶にないです。


内部は狭いうえに真っ暗。カメラの灯りを頼りに手探りで階段を這いずり上がってゆきました(^^;


最上階には廻縁がありますが、これが狭いので高所恐怖症の私にはつらいです(>_<)
眺めはいいんですけどねー。

安来周遊バス

最終便で安来駅に帰還。朝から大変お世話になりました。周遊バスがなければ清水寺も行けませんでしたし、お陰様で充実した1日を過ごすことができました。

17:15 並河家住宅

最後に安来駅近辺をちょっとだけ散策。県指定文化財

17:30 安来一里塚

山陰道に設けられた一里塚のひとつ。現在は塚は削られ、ほぼ平に。国指定史跡。

山陰本線普通列車(安来→米子)

本日の宿泊地へ移動。米子へは1駅です。乗ったのはちょっぴり艶っぽい色の普通列車でした。