日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

天地人 第2回「泣き虫、与六」

「与六まだ五歳、父上母上と暮らしたいでおじゃる」と、ぐずる与六少年を、カズマ喜平次が負ぶって帰るの巻。
長寿アニメ『おじゃる丸』の要素を取り入れてくるとは、NHKならではですな。

永禄八年(1565)の正月

謙信は5年ぶりに越後で年越し。それまでの4年は関東で正月を迎えています。
それにしても、ドラマの都合とはいえ謙信は上田庄に行き過ぎですがな。ふらっと行けるような近所じゃないんですから(^^; それにひさしぶりの越後での正月。居城の春日山城でゆっくり過ごさせてあげてください(笑)

喜平次(景勝)の養子入り

ドラマでは父政景没後すぐに上杉謙信の養子となった様子でしたが、実際にはその後も長尾喜平次を名乗っており、上田長尾家の当主であったと考えられます。
その景勝が養子になったとされるのは10年後の天正三年(1575)。このとき、それまでの顕景から景勝へと実名を変えています。また、併せて弾正少弼の官途を譲られました*1

一気に天正元年(1573)へ

必殺8年飛ばしの術(笑)で、兼続も景勝も子役から交代。
ちなみに、元亀から天正への改元は7月28日ですから、信玄死去(4月12日)前の時点であれば、正確には元亀四年なわけですが。
さらに、上杉景勝も前述のようにまだ長尾顕景のハズ。

信長と秀吉

岐阜城織田信長のもとに秀吉がおりましたが、あなたは横山城で対浅井氏の指揮を執っているハズじゃ(^^;
それにしてもあの秀吉は信長の爺やにしか見えませんね。しかも時代劇の定番であるコミカルな爺や。こんな信長と秀吉が見られるのは『天地人』だけ!(´д`)

*1:この件については、以前異論を紹介しましたが(上杉景虎の政治的位置/櫻井真理子/武田氏研究(28号) - 日本史日誌)、反論があり、桐野作人氏は後者に軍配を上げておられます(膏肓記 上杉景勝の弾正少弼)。