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日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

天地人 第1回「五歳の家臣」

いやー、早くも始まってしまいましたね。来週からでもいいのに(^^;


それにしましても、妻夫木クンは爽やかですな。爽やかすぎて違和感も・・・どちらかというと直江兼続には嫌味な奴というイメージがあるので(笑)
といっても巷間伝えられる幾つかの逸話から受ける印象なんですけどね。よく知られる直江状や、伊達政宗を無視したり皮肉を言ったりする逸話、堀直政をバカにしたりする逸話があります。さらには、「死者を生き返らせろ」とゴネる遺族に「閻魔に頼んでこい」と死罪にしたという逸話も。まー、でも、こういう類の逸話というのは信憑性が低い(?)というのが相場ですから、大河ドラマの主人公らしい正統派キャラでもいいんじゃないの( ´−`)


ところで、直江兼続の幼少時代から話が始まりましたが、彼の前半生はほとんど不明ですから、御館の乱あたりまでは概ね創作のストーリーで話が進むことになりそうですね。

長尾政景の死

今回の出来事で史実ポイントはコレ。というかコレのみか。
謙信の義兄*1長尾政景は永禄七年(1564)7月5日死去。野尻池において船上での遊興中に溺死したといいます。
さてここで問題なのは、宇佐美定満(定行)が主君のため、或いは密命を帯びて心中を図ったという説が一般的なことです。しかしこれは江戸時代、紀州軍学の宇佐美定祐によって『北越軍記』で捏造された話とみられます。この件に限らず、定祐は祖先と仰ぐ宇佐美定満(定行)を謙信のスーパー軍師と位置づけ、様々な創作・捏造を行いました*2
この件については、実際の宇佐美家がパッとせず、歴史の狭間に埋もれていった史実と折り合いを付けるためのものとみられます。つまり、定満は主命を果たしたものの、それを表沙汰にすることは出来ず、宇佐美家は没落ということにして、これにより宇佐美家の名誉も安泰というワケです。


ちなみに野尻池は、長野県の野尻湖に比定されることも多いですが、坂戸城下に野尻池があった(今はない)らしいので、こちらが妥当でしょう。

謙信の越山

永禄七年は年明けから関東へ出陣し、常陸の小田氏治を攻撃、下野の佐野昌綱を降しています。しかし4月には越後に戻り、7月の下旬には信濃に出陣(最後の川中島合戦)していることから、長尾政景の訃報を受けて関東から坂戸城まで引き返すという展開は創作ですね。

信長と謙信の交流

この永禄七年より交流が盛んになったそうです。信長の片想いというわけではなく、謙信の方も信長の息子を養子に迎えたいと申し入れたほど。
しかし、この時点の信長は未だ美濃を併呑しておらず、双方にどのようなメリットがあったのやら。両者を結びつけるものといえば、将軍足利義輝しか思い浮かびませんが、どうなのでしょうか。