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日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

今川義元/有光友學/人物叢書

今川義元 (人物叢書)

今川義元 (人物叢書)

長らく続いた旅行記も何とか片がつきましたので、暫くはまた読書記へと戻りましょう。

象耳泉奘は義元の兄弟?

義元のすぐ上の兄とされる人物ですが、

「信頼できる同時代の史料に、氏親の子とか義元などの兄弟であるということを記したものはない。

だそうで、どうやら兄弟説の根拠は意外に薄い模様。泉奘と今川氏を結ぶのは、唐招提寺関連の史料に駿河今川氏の出身とあること。
なのに、泉奘が花蔵の乱に遭遇していたとみられることを以て、

状況証拠からではあるが義元の兄弟と見てもよいであろう。

でいいんでしょうか? 全く納得いかないのですが(^^;
可能性としては、今川宗家ではなく庶流の出身とも考えられるわけで。

花蔵の乱の謎

本書では第一次河東の乱と合わせた視点で主張を展開しています。大約するとその論点は三つ。

  1. 寿桂尼は玄広恵探方に加担していた。
  2. 後北条氏も玄広恵探方に加担していた。
  3. 武田氏は栴岳承芳(今川義元)方に加担していた。

2と3が第一次河東の乱へと繋がるということです。
が、そう簡単には賛同し得ません。大局的な観点から論じられているのですが、如何せん実証が弱く、「木を見て森を見ず」ならぬ「森を見て木を見ず」となっているように思います。以下、疑問点を列挙しておきます。

  • 福島氏が側近だとしても、寿桂尼が実子と敵対するほどの理由となるのだろうか。
  • 敵対していれば乱後、寿桂尼に対する懲罰があってしかるべきではないのか。
  • 寿桂尼と雪斎の対立を想定しているがその徴証は存在するのか。
  • 寿桂尼と雪斎の接点を見出せないのは、対立が無かったことに繋がるのではないか。


寿桂尼が玄広恵探に加担したとするのであれば、それなりの理由が求められるでしょう。2と3は、1からの推論ですから、兎に角ココが肝心です。

桶狭間関連

義元の尾張侵攻の目的について、那古屋今川氏の再興という仮説立てています。
目的としては矮小化されていると思いますが、名分として考えれば面白いのではなかろうか。