日本史日誌

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いくさ物語の世界/日下力/岩波新書

いくさ物語の世界―中世軍記文学を読む (岩波新書)

いくさ物語の世界―中世軍記文学を読む (岩波新書)

鎌倉時代成立の軍記物語4作品、『保元物語』『平治物語』『平家物語』『承久記』をテーマとした文学論。
この4作品、どうやら1230年代の同時期に成立したものらしい。承久の乱後の安定期に誕生した戦後文学と評価されています。

仮構の世界で究極的に求められたものは、恩讐の世界からの心の離脱であった。


また、文学論に留まらず、史実を考える上からも本書は大いに参考になります。
私が興味をもったところをひとつ挙げますと、『平治物語』のクライマックスにあたる待賢門の攻防戦、平重盛源義平(悪源太)の対決シーンですが、これが虚構であるという指摘。

義朝は、重盛と息子の戦いぶりを、逐一、目にしていたらしい表現となっていたが、彼の守っていた郁芳門と待賢門とは二五〇メートルあまり隔たっており、戦いの舞台となった大庭は、待賢門から入ってそれも二五〇メートルあまり先。その二五〇メートル四方は四つに区画され、それぞれに、大膳職、大炊寮、醤院・主水司・西院、宮内省の役所が収まっていた。それらの建物を囲う築垣は、高さが少なくとも五、六尺(一・五〜一・八メートル)あったとされる。それが実態であったとすれば、彼の目に息子たちの戦う姿が見えるはずはなかったであろう。

( ̄□ ̄;)!!
悪源太麾下十七騎が平重盛勢五百騎を追い払うという劇的なシーンですから、まあ冷静に考えれば虚構と考えるに不思議ではないのですが、ちとショック。

日常、実戦まがいの訓練を目にしていた作者が、その門を中心にすえ、精彩あふれる騎馬戦を創作したのではなかったか。

なんでも、作品成立時期の1230年代の大内裏は、火災などで建物がほどんど失われており、諸門で唯一残っていたのは待賢門のみ。そして跡地では武士たちが馬上訓練を行い、見物衆も存在していたらしい。