日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

戦国大名武田氏の遠江・三河侵攻再考/柴裕之/武田氏研究(37号)

武田信玄晩年の遠江三河侵攻に関する論文。
鴨川達夫『武田信玄と勝頼―文書にみる戦国大名の実像 (岩波新書)』の成果を継承、発展させた考察となっています。

まず元亀三年十月以前に武田氏による遠江三河侵攻はなかったこと

次に元亀三年十月以降の武田信玄遠江三河侵攻過程について、検討を加えた。その結果、まず武田氏遠江三河侵攻過程として、信玄本軍は駿河口から遠江国中へ、山県昌景・秋山虎繁が率いる別働隊は信濃から遠江を経て、三河へ侵攻したのち遠江二俣城攻めの本軍に合流したことを確認した。また、武田氏の美濃侵攻は同時進行でおこなわれたのではなく、十一月に岩村遠山氏が武田氏に従属したことで展開した事態であることを指摘した。

明らかになってきた事実認識は、従来のものとだいぶ変わってきましたね。
そしてその軍事行動の評価については、

また、ここで指摘しておきたいのは、元亀三年十月の信玄の遠江三河侵攻の開始時点で、足利義昭、三好・松永両氏との提携はないことである。
彼らとの提携は、遠江三河侵攻の展開のなかで形成されたものであった。

として、西上説を否定し、

遠江三河侵攻こそが、当初からの信玄の行動目的であった

と局地戦説寄りに立ちますが、それに留まらず、外交戦略の展開からその意図について踏み込んだ考察をしています。


戦国時代は、各大名がてんでんバラバラに動いているようなイメージがあるかと思いますが、地方の局地戦といえども、周辺勢力は勿論のこと、畿内勢力の動向と高度に連動していたりするんですよね。奥が深いです。