日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

青森・函館フリーきっぷの桜旅/6日目/上ノ国町・江差町

北海道2日目は、江差線のローカル列車で檜山地方へ行ってきました。
青森・函館フリーきっぷは、江差までフリー区間に含んでおり、それがこの切符の特徴のひとつですから*1、この機会を逃す手はないですよね。


(5/24更新完了)

7:08 函館駅出発

江差行きの始発列車に乗車。ローカル線らしく1両編成のワンマン列車です。
函館を発車したときは、ボックスシートで周囲を気にせず駅弁のいくら弁当を食べられるほど空いていましたが、途中駅に止まるたび徐々に乗客が増えていきます。最終的には座席が六割から七割方埋まりました。しかしそれも木古内まで。その先は数人の乗客を乗せて、人家もほとんど見えない山間を縫うように進んでいきます。1日6往復の過疎路線になるのもむべなるかな、といった感じ。

9:10 上ノ国駅到着

2時間も過ごしたローカル列車ともひとまずお別れ。江差のひとつ手前で下車して、道南の領主蠣崎氏(後の松前氏)の居館が置かれた地をめぐります。

9:30 花沢館跡

国指定史跡・上之国館跡(花沢館跡・勝山館跡・洲崎館跡)のひとつ。
コシャマインの乱の際、蠣崎季繁はこの館に籠もり、アイヌ勢を退けたという。遺跡はあまり整備されていないような感じです。山上へと続く道も薮こぎが避けられそうにありませんでしたので、山麓の標柱を撮って、それでよしとしました(^^;

9:40 清浄寺

町指定有形文化財の本堂。

9:50 旧笹浪家住宅

江戸時代より漁業を営んだ旧家の建物。重要文化財
観覧料300円。勝山館跡ガイダンス施設との共通券だと400円。




色々と説明を受けながら見学しました。
かつて栄えた笹浪家も残念ながら絶えてしまい、町に寄贈され、保存修理工事を終えて平成15年より公開の運びとなったそうです。痛んだ部材などは結構取り替えたそうで、キレイに見えるのもそのためのようです。でも、昔の雰囲気もしっかり残していますよ。


屋根裏部屋にも上がらせてもらいました。隠し部屋だったのか、当時は梯子が無かったそうです。現在も申しわけ程度に壁に取り付けられた垂直梯子をよじ登らないといけません(^^;


座敷の床の間に飾られていた甲冑。松前氏の祖武田信広が着用したものと伝わるそうですが、江戸時代中期のものとみられ、松前藩主着用のものとみられています。



また土蔵が二棟あり、特に右側の土蔵は主屋とともに重要文化財に指定されています。
土蔵は板壁に覆われていて無骨な感じですが、その内側は白く輝く漆喰壁。わざわざこのようにしているのは風雪から守るためなのでしょう。

10:30 上ノ国八幡宮


旧笹浪家住宅のすぐ裏手。こちらの本殿は町指定有形文化財ですが、覆屋の中にあり見学できず。新しい拝殿の内より見えぬものかと頑張るも、御簾に遮られていました。
諦めて去ろうとしたところ、神社の関係者と思しき方と出くわしたので、挨拶がてら軽い気持ちで本殿の見学について伺ってみたのですが、やはり非公開のよう。その方がえらく申しわけなさそうでしたので、恐縮してしまいました。無理を言って済みません(^^;

10:40 上国寺

旧笹浪家住宅より西へ数十メートルで、こちらも至近。
小さなお寺ですが、室町時代より続く古刹。江戸時代建立の本堂は重要文化財です。

10:50 勝山館跡

国指定史跡・上之国館跡(花沢館跡・勝山館跡・洲崎館跡)のひとつ。武田信広が築き、洲崎館より移住してきました。
旧笹浪家住宅と上国寺の間の小道が登山口。15分ほどで着くようです。


勝山館は夷王山の中腹に築かれました。フゥフゥ汗をかきながら山道を登っていきます。そういえば山城攻めはひさしぶりだなぁ。


食い違い虎口が見えてきました。この先がいよいよ館の主要部です。



正面に立ちふさがる復元された柵と切岸。土塁ではありません。
そしてその前面には二重堀。草が茂っていて写真だと分かりづらいのが難点(^^;


そしてやって参りました。客殿跡などの礎石位置が平面復元されています。ここまで麓から約10分。意外とあっさり到着してしまいました。
それにしても・・・何という絶景! 正面の展望が開けて海が望めるこのロケーション、七尾城を思い出します。 
そして物凄い強風(苦笑) 中腹といっても遮る物のない平場が広がっているのでタマラン(+。+) 山城の欠点のひとつですね。常住するのも大変だ。


館跡を突っ切って搦め手口を抜け、奥へ進むと勝山館跡ガイダンス施設が見えてきます。先ほど旧笹浪家住宅で共通券を買ったので、折角ですから見学してきました。しかし時間に余裕が無くなってきたので、模型などの展示をザッと見て、ビデオも途中で切り上げてきました。
夷王山山頂へも寄らず、とにかく急いで下山し、残る一箇所へと向かいます。

11:55 洲崎館跡(砂館神社)

国指定史跡・上之国館跡(花沢館跡・勝山館跡・洲崎館跡)のひとつ。
蠣崎氏の客将武田信広は、コシャマインの乱鎮圧に功を挙げ、蠣崎季繁の婿となって蠣崎氏を継承し、天の川の北側に築いたのがこの館です。遺構はよく分からず。館跡の一部に砂館神社があり、そこに説明板が立てられていました。


砂館神社の本殿は道指定有形文化財です。

12:26 上ノ国駅出発

早めに急いだお陰で余裕を持って間に合いました(^。^;
電車は1日6往復ですから、1本逃すとその日の予定が全てパーになってしまいます。

12:34 江差駅到着

江差線の終着駅。市街地から離れていて不便です。江差線は果たして今後も生き残れるのでしょうか?

12:45 金丸家住宅

町指定有形文化財。たぶんそれらしき建物を見つけましたが、果たしてどうか。

12:50 法華寺

山門は檜山奉行所正門(町有形文化財)を移築したもの。



山門脇に咲き誇る桜。


山門より江差沖を望む。

13:10 護国神社

戍辰の役戦死者の墳墓地(町史跡)。
官軍墓地です。確認できたところでは、松前・長州・徳山・福山・備前の各藩。

13:25 旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)

北海道で唯一現存する郡役所。道指定有形文化財


土方歳三嘆きの松。開陽丸座礁を知った土方歳三が、この松を拳で叩きながら泣いたと伝わります。


入館料300円です。


二階バルコニーから江差沖を彼方に望む。


警察署も兼ねていたので、取調室もあったりします。
取調官のマネキンを後から見たときは、誰かいるのかと思ってしまいました(^^;


さらには離れの留置所も。


旧檜山爾志郡役所の目と鼻の先に旧中村家住宅がありますが、先に郊外の旧関川家別荘へ向かいます。

14:05 旧関川家別荘

江差随一、いや松前藩随一の豪商だった関川家の別荘。観覧料100円。町指定有形文化財
係の方の案内を受けて見学。色々な話を伺いましたが、土蔵の展示品より建物と関川家の話が興味深く感じたのは私の趣向が偏っているからでしょう(^^; 展示品も立派なものですよ。
で、建物の話なんですが、この無骨な板壁は取り外し可能なのだそうな。客を招待したときはそうしたのだとか。どのような姿に変わるのか、見てみたいものです。


また、離れの茶室も無骨。



でも中身はしっかり風流漂う佇まいです。

14:45 旧中村家住宅

北前船で栄えた廻船問屋。重要文化財


観覧料300円。


帳場と二階廊下。


主屋の後方に土蔵が2棟(文庫倉・下ノ倉)が連なっています。しかも外に出ることなく行き来が可能。


通り土間から下ノ倉へ続く階段を降りていきます。


文庫倉・下ノ倉の間はこんな感じ。


さらに続く階段。当時は海岸線がすぐ近くまで来ていたので、荷揚場から主屋まで直結する構造になったのだとか。


現在は海岸ではなく、国道228号に面しています(ノ∀`) アチャー
ニシン漁で栄えたころは、海岸沿いに同じような建物がズラリと建ち並んでいたそうです。


ちなみに正面側は江差いにしえ街道。往時の建物は極僅かですが、景観に配慮した町並みになっています。江差観光のメインストリートですね。

15:20 横山家住宅

同じく江差いにしえ街道に残る旧家。しかし残された時間が少なく、最早見学している余裕がありません。外観だけ撮影して通り過ぎます。

15:30 開陽丸

幕末最強を謳われた旧幕府軍艦。しかし充分な戦果を上げぬまま江差沖で座礁沈没しました。
本物は今も江差の海の底ですが、オランダに残された設計図をもとに復元展示されています。時間がないのでここも外観撮影のみ。とはいえ猛烈な海風の中なので大変でした。砂浜の砂が巻き上げられ吹き付けてくるので目も開けていられないし、カメラに砂が入らないようにしないといけないし(^^; まるで開陽を沈めた暴風の再現か、とも思ったくらいでした。


江差沖に突き出た鴎島観光も予定にありましたが、今回は残念ながらキャンセルです。、

16:16 江差駅出発

無事間に合いました。帰りも車内は空いています。ひたすら歩きどおしの1日で疲れましたので、終点木古内まで寝ていました(-_-)゜zzz…

18:36 木古内駅出発

木古内で1時間以上の待ち合わせ。行く宛てもないので駅前の喫茶店で一服して時間を潰しました。
木古内からは特急スーパー白鳥に乗り換え。自由席なので座れない覚悟もしましたが、かなり空いていました。ラッキー♪

19:20 函館駅到着

駅前で食事をとって、本日は早じまい。あとは最終日を残すのみとなりました。

*1:三連休パスでも函館までは行けるが、木古内江差間はフリー区間外となっている。