日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

冬の北陸紀行/1日目/福井市・坂井市

前日、寝台特急「北陸」に乗り込んでスタートした北陸旅行。金沢に早朝到着するので、時間に余裕がありますから、一気に福井へと向かいます。
というわけで初日は6年ぶりの福井県。1日で福井駅周辺と丸岡(坂井市)をめぐります。

6:35 金沢駅到着

富山駅到着の案内放送で起こされました。まだ5時半前だっつーの。早い、早すぎるよ(-_ゞ
1時間ほど寝床でうつらうつらしていると、あっという間に到着。ほぼ定刻どおりでした。まあ実質4時間半ほどしか寝ていませんが、それほど体調は悪くなく、結構ぐっすり眠れたみたいです。


そして福井に向かうべく特急サンダーバードに乗車。北陸フリーきっぷは区間内は特急列車も乗り放題! とはいえ自由席オンリーなので座席確保が至上命題となります。特にサンダーバードは乗車率が高いようで、この日も7時前というまだ早い時間にも関わらず、ホームには自由席の乗車待ちをする列が出来ていました。結局、座席を確保したのは喫煙車。次の雷鳥(金沢始発)を待ってもよかったのですが、思っていたより空調が効いていたので、そのまま乗ってしまいました。ただまあ、あんまり長い時間喫煙車には乗っていたくないですね(^^;

7:45 福井駅到着

金沢から45分。金沢駅で購入した駅弁を頬張りつつ、車窓を眺めてボーっとしていたら到着してしまいました。
ちなみに福井は北陸フリーきっぷのエリア外なので、加賀温泉-福井間の乗車券・特急券は別料金(往復2600円)です。


東口では新幹線高架の工事中。それにしても全く雪が見えません。ちょっとガッカリしましたが、まさか後でイヤというほど見ることになろうとは・・・。

8:00 岡田啓介生誕地・吉田東篁生誕地

駅東口から正面に延びる東大通りを進み、荒川にかかる城東橋の手前を左折。歩道脇に2つの石碑が並んでいます。
岡田啓介は言わずと知れた二・二六事件のときの首相で、海軍穏健派の長老。吉田東篁は福井藩校の教官で橋本左内らのお師匠さんだそうな。年代的に接点があるのかどうかは微妙なところですが、生誕地が同一ということは親類縁者だったりするのかな?


来た道を戻って駅の西側へ。

8:15 福井城跡

2度目の訪問ですが、前回はあまり写真を撮っていないので、じっくりと撮り歩いて来ました。
現在、本丸が残るのみとはいえ、周囲をめぐる水堀と石垣は見事。


御本城橋を渡って本丸跡に入ると、初代福井藩主結城秀康の石像がお出迎え。この辺りは瓦御門枡形があったところ。それにしてもこの秀康公、ちょっと老けすぎてやしませんか?(^^; 確か三十代で若死にしたはずじゃ・・・。


本丸跡には県庁や県警本部など官公庁の敷地となっていますが、北西隅の天守台は見学可能です。
写真は1948年の福井大地震で崩れた控天守台石垣。


本丸西側の廊下橋は復元工事中でした。今春には出来上がるみたい。

8:45 中央公園

福井城跡の西隣。といってもここも福井城の一角で、西二の丸と西三の丸にあたる場所。
ここには岡田啓介由利公正岡倉天心、3人の像が立っています。何故岡倉天心?と疑問に思いましたが、彼の父が福井藩士なんですね。

8:55 福井神社

松平春嶽像もあったはずだが・・・と中央公園を探し回りましたが見当たらず。それもそのはず、北隣のこちらにあったのでした(;^_^A

9:05 福井城舎人門遺構

福井市郷土歴史博物館の北側に復元されました。

9:15 養浩館庭園

博物館を後回しにして先にこちらへ。
江戸時代には御泉水屋敷と呼ばれていた福井藩主松平家の別邸。国指定名勝。
通常は入園料210円ですが、現在は無料。


なぜなら屋根の葺替工事中だから。
池の水位も下がっているみたいで、ちょっと残念。機会があれば再訪したい。

9:40 福井市郷土歴史博物館

入館料210円。6年前に訪れたときはまだ足羽山の中腹にありましたが、それと比べると見違えるよう。

10:20 中江雪江宅跡

10:25 橋本左内生誕地

民家の庭先に小さな看板と初湯の井があるのみ。石碑くらいあるかと思いきや・・・拍子抜け。

10:35 裁判所前駅出発

福井鉄道福武線に乗車。路面電車です。
行き先は2駅先で、歩いていけない距離ではないのですが、折角なので乗っておきました。本数も少なく、存続も危ぶまれているだけに、これを逃したら乗る機会もないかもしれませんし。

10:45 公園口駅到着

ついに雪が降り出してしまいました。

10:50 西光寺

柴田勝家菩提寺
勝家の旧臣・山中長俊*1の創建になる柴田勝家お市の方の墓があります。勝家の一子・孫次郎と勝家の甥・勝景も合祀されているとありましたが、彼らの存在については初耳。

10:55 左内公園

橋本左内(景岳)の墓と銅像があります。



雪がえらいことになってきました(^◇^;;アワワ
とにかく急いで幸橋を渡って足羽川を越え、市街地に戻ります。川沿いに「横井小楠居留宅跡」があるハズも見あたらず。雪が本格的に降ってきたので探している余裕もなく・・・。

11:30 北ノ庄城跡(柴田神社)

ホント大変なことになってきて、なんとか休憩所へ逃げ込むことに成功。暖房も効いていて、地獄に仏とはこのこと。以前来たときは日が暮れて真っ暗だったので休憩所があるとは知りませんでした。
二階のベランダからは敷地が見渡せます。


柴田勝家お市の方の像があります。勝家像には近づけないので、ズームを利かせる他なく、実際の見た目以上に雪が写り込んでしまいました(+_+)

11:55 加藤寛治生誕地

取りあえず福井駅周辺では最後の目的地なので、降りしきる雪の中でも頑張って歩きました(^。^;) まあここには既に一度来たことがあったんですけどね。

13:10 京福バスターミナル出発

駅前で昼食を取った後は丸岡へと向かいます。本丸岡行きのバスに乗車。

13:50 丸岡城バス停到着

終点の次のバス停で下車。行きと帰りでルートが違うのでこうなります。運賃は640円で変わらないので、城に近いこちらで降りるのが良いでしょう。
相変わらず雪は降っていますが、若干雨っぽくなってきたような。

13:55 丸岡城

現存十二天守のひとつ、重要文化財丸岡城天守
既訪地ではありますが、6年前に撮った写真には不満があるので再訪と相成りました。まあ当時の写真の腕前は見るも無残なものですから・・・。それなのに生憎の雪で若干霞んでしまいました。


入場料300円を払って天守内部へ。階段は急勾配ですが、手すりに紐付きで安心。


三重三階の天守の最上階。
独立丘陵のてっぺんに立っているので見晴らしがいいです。


麓の丸岡歴史民俗資料館に立ち寄ってから外に出ると、雪が雨に変わり、しかも小降りになっていました。チャンス到来。舞い戻って、今度はクッキリとした天守の撮影に成功です(^_^)v

15:20 有馬天然屋敷跡庭園(十日講)

次いで城下をめぐります。
まずは丸岡藩家老の屋敷跡に残された小さな庭園を鑑賞。市指定史跡。

15:30 台雲寺

蓑笠庵梨一墓(市史跡)があります。
彼は武藏児玉出身で、丸岡藩が招聘した俳人芭蕉研究家。

15:40 本光院

丸岡藩主本多家の菩提寺。墓地には本多家歴代墓所(市史跡)があります。
福井藩の付家老として丸岡城を与えられていた本多成重*2が、主君松平忠直が改易となった際に大名として独立したことに始まる本多家。しかし四代重益のときに改易となりました。
墓所には、成重以下の三代と成重の父重次の巨大な五輪塔が立ち並んでいます。

16:05 高岳寺

こちらは本多家の後の丸岡藩主有馬家の菩提寺。ここだけ町はずれにあります。
有馬家歴代墓所(市史跡)の見学が有志制(300円)になってました。確か6年前は見学自由でしたけど、これもご時世でしょうか。



城下めぐりを終え、再度丸岡城へと戻ります。
雨と雪の中、歩き回っていたお陰で靴の中がビチョビチョ。つま先が冷たい。オマケに左膝の爆弾が久々に危険水域に到達し、寒さで体力も消耗。もはや限界ギリギリといった感じです('_`)

16:50 丸岡城

なんとか無事到着。16:30より照明が点灯しているらしいですけど、まだ明るすぎるので、しばらく山麓で雨宿り。
ようやく暗くなり始めた17:30過ぎに天守のもとへ。寒い。とても寒いです。寒さに凍えながらもガッツでライトアップ撮影(-_-;

18:25 丸岡城バス停出発

あんまり寒いので予定より1本早いバスで帰還。乗客はほとんど無し。

19:15 福井駅バス停到着

またまた雪がえらいことになってます( ̄□ ̄;)!!
しかも昼間と違って今度は積もり始めています。急いで本日最後のお勤めへ。

19:20 福井城跡

本丸石垣がライトアップされています。
なかなか幻想的でいいじゃないですか。あんまり期待していなかったので(スマソ)、その分嬉しさも増しますね。


濠沿いの小道もなんだかロマンチックな雰囲気。
といっても、こっちは雪との格闘でそれどころじゃないわけですが(^^;


しんしんと降り続く雪がいよいよ大変なことになってまいりました。身動きが取れなくなる前に引き上げます。
しかし、朝に到着したときは雪のゆの字もなかったのに、あっという間に降り積もるんですね。あまり雪国へ行くことがなかったもので、今回は貴重な体験となりました。

20:15 福井駅出発

駅構内で夕食の後、金沢行きの特急雷鳥に乗車。福井で乗客がドッと降りたので、自由席はガラガラ。

21:10 金沢駅到着

福井ではあれだけ雪が降っていたのに、金沢には全く雪がありません! こりゃ雪の兼六園は期待できそうにありませんな。

*1:後に豊臣秀吉の右筆となる。

*2:鬼作左本多重次の長子。幼名仙千代。日本一短い手紙として知られる「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の「お仙」は彼のこと。