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日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

篤姫 第5回「日本一の男」

島津右近って誰?年齢設定はどうなってるの?

島津久光(忠教)の息子は何人かいますけど、長男の島津忠義(茂久)は天保十一年(1840)生まれ。この時、嘉永四年(1851)は数え年で12歳。現在でいえば小学五年生ですよ。弟たちがさらに幼少なのは言うまでもありません。
いくらなんでも本人の希望で縁談が持ち込まれるというストーリーは、フィクションといえど無茶にもほどがありまっせ(;^_^A
もちろん親同士が縁組交渉するくらいなら何ら不思議のないことですから、その辺の当たり障りのないところでまとめておけばよいのに(-_-;)y-゜゜


ちなみに天璋院天保六年(1835)生まれですから、この時、嘉永四年(1851)は数え年で17歳。こちらは適齢期でした。

今和泉島津家の姫君と肝付家の若君の身分格差

身分違いの恋のように描かれていますけど、どんなもんでしょう?
今和泉島津家は「御一門」で、肝付家はワンランク落ちる「一所持」。確かに差はありますけど、婚姻が許されぬほどの絶対的な壁があるわけではなさそうです。実際、肝付尚五郎(小松帯刀)の母は御一門筆頭の重富島津家出身。
そもそも嫁入り先・養子入り先がワンランク落ちるというのは、歴史上ごくありふれた事象です。同格もしくは格上を相手にしたいところでしょうが、上にいけばいくほど枠が狭まってくるわけですから、それだけでは行き先がなくなってしまう可能性が高くなるわけです。しかも島津御一門は僅か四家なのですから。
というわけで、尚五郎が憂うべきは身分違いなどではありません。部屋住の三男坊という立場を憂うべきです。現在と違って、一家を構えぬ身では嫡子を除いて嫁取りなど出来ませんからね。