地域社会からみた「源平合戦」/歴史資料ネットワーク 編/岩田書院
地域社会からみた「源平合戦」―福原京と生田森・一の谷合戦 (岩田書院ブックレット―歴史考古学系)
- 作者: 歴史資料ネットワーク
- 出版社/メーカー: 岩田書院
- 発売日: 2007/06
- メディア: 単行本
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岩田書院ブックレット。
内容は2005年に神戸で開催されたシンポジウムがもとになっています。
特に川合氏の論考が、多田行綱再評価論ともいうべき内容で興味深い。
一般的に多田行綱というと、鹿ヶ谷の陰謀における密告者としてのイメージが強い、というよりそれのみと言っていいかと思いますが、以前にも紹介しましたように鵯越方面攻略の指揮官であったこと、さらにそれだけでなく摂津国惣追捕使*1であったと推定されるなど、有力武士としての姿が浮かび上がってきています。
そして何より驚いたのは、そもそも鹿ヶ谷事件における多田行綱の密告は史実ではないという指摘。『平家物語』『愚管抄』では、行綱の密告を聞いた平清盛が上洛して西光らを捕らえたとなっていますが、『顕広王記』には清盛を呼び寄せたのは後白河院であり、それは延暦寺攻撃のためであった、と記されているそうな。『顕広王記』は一次史料であって、『平家物語』『愚管抄』よりも信憑性が高いのでしょう。
そうなると、多田行綱という人物は今までえらい損してますね。鵯越攻撃も義経にすり替えられてしまったわけですし・・・なんとも(;_:)
もうひとつ記しておきたいこと。
以前、一ノ谷の戦いにおいて「『雑筆要集』には義経が摂津の武士を招集したとあるそうだ。」と記しましたが、『儒林拾要』にも同様の記述があるそうです。
どういう史料なのかということにも触れており、鎌倉時代成立と推定される文例集で、実在の文書をもとに編纂された史料的価値の高いもの、と評されています。さらに『雑筆要集』は内容の類似した異本とのこと。
*1:惣追捕使は守護の前身。