日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

風林火山 第29回「逆襲!武田軍」

塩尻峠の戦い。
高遠頼継の雑魚キャラっぷりに注目。
小笠原長時との軍議での、威勢のいい煽りっぷりが如何にもやられ役な雰囲気を醸し出しております。そして油断で気の緩んだ陣中を見て、武田との対戦経験者である彼はその危うさを感じとるのですが、所詮は客将(つまりは居候)、無力さを噛みしめることしか出来ません(涙)
そして格好の悪い生捕りシーン。まったく不必要なシーンです。数年後に自害させられたというナレーションがさらに追い打ちをかけます。ヒドイ!(>_<;)
そんな彼はまさに雑魚ですが、ただの雑魚にあらず。雑魚中の雑魚、キングオブ雑魚。誰か彼にも注目してあげてくれ!


さてところで、史実の高遠頼継ですが、自害させられたというのは誤りの可能性があります。
それを指摘しているのは丸島和洋氏の論文「戦国大名武田氏の一門と領域支配」(戦国史研究53号)。そう、武田勝頼の高遠諏訪家継承に関する件について言及していた論文として以前に紹介しました。


戦国大名武田氏の一門と領域支配/丸島和洋/戦国史研究(53号) - 日本史日誌


それに拠りますと、自害の根拠とされてきた『甲陽日記』天文二十一年正月条に

廿三丙午、諏記*1・諏氏*2於高遠、廿五日当府へ出仕、廿七日諏氏生害

とあるが、自害したことがみえるのは「諏氏」のみであり、また高野山成慶院に伝わる供養帳にはこの年の5月26日に頼継自ら生前供養の依頼を受けたこと、同年8月16日に他界したことが記されているので、少なくともその後も暫く存命だったことは間違いないようです。
『甲陽日記』の記す事件後に自害した可能性もありますけど、それを示す史料が見つかればの話であって、現状では自害していないと考えるべきでしょう。
立場上苦境にあったようなので、それが原因で病になり、先の長くないことを知って、生前供養を依頼し、しばらくして亡くなった。というところですかね。

*1:「諏紀(諏訪紀伊守頼継)」の誤写であろう、とのこと。

*2:「諏民(諏訪民部ヵ)」の誤写であろう、とのこと。