関ヶ原前夜における権力闘争/光成準治/日本歴史(707号)
副題は「毛利輝元の行動と思惑」。西軍の盟主に担ぎ上げられた「凡庸な人物」または「被害者」として捉えられてきた彼の動向についての再検討。
まずは石田三成襲撃事件についてから。新出史料の「厚狭毛利家文書」に拠って、この時点で既に毛利・上杉・奉行衆が徳川派打倒に向け連携していたこと、大規模な軍事衝突が起こる可能性があったことを論じている。
ところでこの新出史料ですが、板倉丈浩さんに昨年ご教示いただいた毛利輝元の書状でした。あれは新出史料だったのですね。そこまでしっかり抑えてらっしゃる板倉さんの凄さに改めて驚かされました(゜o゜)
さて次は西軍決起に際しての上坂について。その行動の早さの検討から、輝元の上坂は予定された行動であったこと、ひいては反徳川闘争(西軍決起)が輝元と奉行衆の協議により準備を整えた上での行動であった、と結論づけている。
最後は決起後の動向について。従来取り上げられることの少ない西国方面に焦点を当て、阿波占領・伊予侵攻・豊前(門司・小倉)進駐・大友氏の豊後侵攻支援を列挙。伊予侵攻については知っていました*1が、阿波や豊前の件は初耳。
このような西国における積極的な軍事行動に較べ、主戦場たる関ヶ原方面での消極的さにはギャップがあるわけですが、それは輝元に自己の権益拡大を優先する企図があったためと結論し、その行動を「極めて野心的」と評している。
このような行動原理は、上杉氏や伊達氏にも見られるものであり、時代性からいっても納得できる。
以上、関ヶ原の戦いの全貌を考えるにおいて、得ることの多い興味深い論文でありました。
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