日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

風林火山 第21回「消えた姫」

山本勘助が諏訪御料人に対して、未だに「姫様」と呼びかけていましたが、どうにも違和感を拭えません。既婚の、それも主君の側室に対する呼称として相応しくないと思うのですけど・・・(-"-;)
勘助も武田家中においては「御料人様」と呼んでいましたから、その使い分けは何らかの意図があっての演出によるものなんでしょう。そしてそれは勘助の諏訪御料人に対する特別な感情に帰する、ということになるものと考えますが、「姫様」と呼ぶあの姿はどう見ても乳夫(乳父・めのと)というか「爺や」という表現がピッタリ来るんですけど・・・おみ足をさすってたりするところなんかまさに(笑)・・・こういう理解でいいんでしょうかね(^^;


それともうひとつ違和感を覚えたのは、村上義清小笠原長時のもとに参上していたこと。信濃守護小笠原氏と村上氏、両者の関係で真っ先に思い浮かぶのは大塔合戦室町時代初期のこの激突以来、敵対関係にあり、村上氏も守護権力より自立した立場にあったと認識しているのですが、そうではないのでしょうか?