日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

風林火山 第19回「呪いの笛」

「呪いの笛」ではなく実は「祝いの笛」だったというオチの巻(でいいのか?)。

諏訪御料人の輿入れ時期はいつか

天文十二年(1543)に設定された婚儀。この天文十二年説は『高白斎記』に基づき、一方で『甲陽軍鑑』は天文十四年としているとのこと。史料の信憑性からいけば天文十二年説が有力なように思われるのですが、それがどうも一筋縄にはいかない模様。
それは『高白斎記』の当該記事にある祝言を挙げた人物が「禰津御前」となっており、これが誰なのかが問題で、諏訪御料人とするか*1、禰津元直女とするか*2で解釈が分かれているからです。
諏訪御料人とする説では、彼女が諏訪氏滅亡後に縁戚の禰津氏のもとに逃れていた、とするのですが、根拠が示されていないので、信を置くことができない。
そうなると禰津氏と考えるのが現時点において一番自然なことなのですが、彼女が七男信清を出産したのは20年後の永禄六年(1563)のことで、これではいくらなんでも空きすぎでしょうし・・・弱りました。