日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

風林火山 第5回「駿河大乱」

さて今回のテーマは花倉の乱。「山本勘助狂言回しとなって大活躍の巻!」となるのを恐れていたのですが、杞憂でしたね。多少の脚色はありましたけどいずれも控えめ。勘助がちょいちょい情報をもたらしても、雪斎らは既に抑え済みのこととしたり、戦局に大きく関わらせることなく兄弟対決*1をストーリーの中心としたり。『功名が辻』に慣らされた身からすると良心的に感じます。

花倉の乱

乱の始まりはいつなのか。またどのように推移したのか。
ドラマでは天文五年(1536)5月25日に駿府城下に戦火が上がり、これを福島方の宣戦布告としていました。これは『高白斎記』に基づくものでしょう。一方で、『為和集』には4月27日より乱が始まったとあり、『快元僧都記』には5月10日条に両者の合戦のことが見えていて、乱はもう少し早く勃発していたのかもしれません。
ところで、『高白斎記』に拠れば、5月25日未明より駿府にて合戦があり、夜中に福島方は久能山に撤退したという。由比などでも合戦があり、乱はもう少し広い範囲に拡大し、すぐさま花倉城の攻防に移ったというわけではなさそうです。
そして最も気になるのは、この『高白斎記』の記事に、寿桂尼が駿府合戦の前日に福島越前守の宿所を訪れて玄広恵探に同心したとあること。何やら不思議な内容で、これについては色々論議されている模様。素直に受け取れば、寿桂尼が実子今川義元を裏切ったということになるわけですが、乱後も健在ですしちょっと考えがたいわけで。

武田信虎と花倉の乱

このときの武田方の動向を示す形跡はなく、武田信虎が恵探方に同心していたのに承芳方に鞍替えしたというのは創作。結局、今回も信虎は濡れ衣を着せられた格好になってしまいました。
まあ、乱後に福島氏の残党を匿った前島氏を成敗した際、奉行衆がことごとく国外退去してしまった(『勝山記』)そうですから、今回の設定はそこから想像を膨らませてのストーリーと考えれば、まあまあ許容範囲かな、と思う次第です。

*1:創作でも歴史的意義は低いので、さしたる問題ではないでしょう。