日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

風林火山 第4回「復讐の鬼」

なんだか結局、百姓は虐げられるだけの弱い存在、といういつもの史観に落ち着いてしまった。残念。民衆はもっと逞しいゾ。個々の力は弱くとも、共同体の力は侮れない。
さてそれにしても、ミツらはどうしてあのような場所でワラビ採りをしていたのだろうか。説明不足なので、実は忍び込んでワラビ"盗り"をしていたのではないか、と想像を逞しくすることも可能だろう。

妊婦の腹裂き伝説

武田信虎には、妊婦の腹を裂いて胎児を取り出した、という伝説があり、今回のお話はそれをモチーフとしたもの。
もちろんこれは諸記録にみえないので伝説に過ぎません。しかも、妊婦の腹裂き伝説というのは暴君とされる人物には付き物*1のお話。つまり、暴君といえば妊婦の腹を裂く、妊婦の腹を裂くといえば暴君、ということになってるわけで、この伝説は暴君であることを強調するために作られた可能性が高い。
だいたい信虎という人物は、戦国の英雄信玄が忠孝の道に背いてまで追放したということで、かなりのハンデを負っている。つまり、「信玄様のようなエライ方が、敢えて追放したのだからこれは相当な悪人だったに違いない」、このような史観によって誹謗脚色されてしまう。
このような歪められた史観に貶められた人物の復権を図りたいけど、大河ドラマでこれをやられてしまっては、信虎公の復権はかなり困難ですわな。

今川氏輝・彦五郎兄弟の死

駿河守護今川家当主である今川氏輝が没したのは天文五年(1536)3月17日のこと。史料に乏しく、死の状況について詳しいことは分かっていないのですが、その死を不審とみるのに充分なだけの材料は揃っています。
第一に、氏輝はこの年の初めに小田原城へ赴き、後北条氏の歓待を受け、数日前に帰還したばかりであること。しかも帰りに熱海で湯治しつつ歌会に興じており、帰った途端の死は唐突な印象が強い。
第二に、同母弟彦五郎が同日にやはり死去していること。兄弟同時にというのは、どう考えても不自然。
そして第三は、今川側の史料にこの出来事が見えないこと。それゆえに詳しい事情が分からないのでありますが、今川家としてはあまり触れたくない出来事だったのではないか。
これらを鑑みるに、病死説は成り立ちにくいでしょう。あとは自殺(心中)か他殺か、はたまた事故死か、というところですけど、あまり決め手もない。しかし少なくとも玄広恵探・福島越前守派が関与した可能性は低いでしょう。なぜなら、もし彼らが関与していれば、栴岳承芳*2側がこんな絶好の大義名分を見過ごすわけがないだろうし、乱後も喧伝してしかるべきところにも関わらず、そのような痕跡が見当たらないからです。

*1:殷の紂王や武烈天皇松平忠直など。紂王については知りませんが、武烈天皇松平忠直もそのような行為があったとは思われない。

*2:ドラマでは梅岳承芳となっているが、「栴」と「梅」の字が似ているがための誤伝だそうな。