日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

風林火山 第1回「隻眼の男」

始まっちゃいましたね。今年も1年間がんばりますよ。

天文四年(1535)

物語のはじまりは天文四年(1535)8月でした。この年の甲斐が飢饉だったかどうかは分かりませんが、咳の病気が流行して多くの人が死んだそうな(『勝山記』)。
さて当時の政治情勢ですが、武田氏は今川氏および北条氏と敵対しています。今川氏と北条氏は同盟関係にあり、「武田氏vs今川氏・北条氏連合」という武田氏にとっては厳しい構図になっておりますが、武田信虎とてただの戦バカにあらず。ドラマには出てきませんが、武田氏は武蔵の扇谷上杉氏と同盟を結んでおり、2年前には扇谷上杉朝興の娘を信玄の嫁にしています。元服前に妻を娶っていた信玄やるな。というかちょっと引っ掛かるところではあります。
それはそれとして、この扇谷上杉朝興の娘は結婚の翌年に亡くなってしまうのですが、同盟関係は維持され、天文四年(1535)8月の北条氏との合戦で武田氏勝沼信友が討たれるなどの敗北を喫したものの、扇谷上杉氏の牽制のお陰で北条氏が兵を引いたため、武田氏はピンチを逃れることが出来たわけであります。

武田信玄の幼名

元服は翌天文五年ということで、武田勝千代として登場。
しかしこの「勝千代」というのは『甲陽軍鑑』にしか見えないものらしく、確実なのは「太郎」のみだとか。しかし仮名(けみょう・通称)ならともかく、幼名が「太郎」というのも何だか奇妙な感覚がありますが、どうなんでしょう。