日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

功名が辻 第48回「功名の果て」

次回でもう最終回なんですね・・・早い!早いよ!

吸江庵

あの夢窓疎石を開基とする名刹で、慶長六年(1601)2月16日、つまり「種崎浜の悲劇」の半月前に一豊は湘南宗化を住持に任じているとのこと。湘南和尚がこの吸江庵を吸江寺として再興しています。
というわけで、久々に、という思い出したかのように拾クンが湘南和尚となって登場です。もちろん見性院が移り住んだというのは創作ですけど。

河中山城(高知城)入城

慶長八年(1603)8月21日、本丸の完成した河中山城に一豊夫妻と家臣団が入城。
で、入城早々に一豊が昏倒してビックリ。一豊の死は慶長十年(1605)のことで、しかも急死であったようですから、前回の予告を見て、死の直前まで進むのだろう、と思っていたのですが・・・まだあと2年以上あるやん。