日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

功名が辻 第47回「種崎浜の悲劇」

先週放送分です。あ、あれっ?バッドエンド?(笑)
やっぱり六平太を弄んでいたのが不味かったんですかねー(苦笑)


てか、前回倒れた千代は袖下を撃ち抜かれただけというオチでした。ツマンネ。

土佐を離れる一豊

慶長六年(1601)1月の入国後、一豊は領国統治に専念しており、土佐を離れるのは翌慶長七年2月の上洛まで無かったようなのですが・・・。
きっとあれですね。土佐平定を家康の命令として印象づけるための演出でしょうか。ヤレヤレ。

一揆徒党の処刑

慶長六年(1601)3月1日、土佐入国祝いとして桂浜で相撲興行を催すが、ここで浦戸一揆の徒党73人を一斉検挙。そして対岸の種崎で彼らを磔としている。
ドラマはかなり脚色されていましたが、一豊夫妻に泥を被せまいとする意図が見え見えで、かえって傷口を広げているようにしか見えませんでした。どうしてもっと素直に表現しようとしないんでしょうかねぇ。うーん。特に、先の浦戸一揆なんかは山内家は直接絡んでいないわけですから、この大河は暗に山内家叩きをしてるんじゃないか、などと勘繰ってしまいますわ(^^;
ただ、そもそも主人公をいいこちゃんとして描く大河ドラマの現状を考えれば、こうなることも当然の帰結でしょうか。根本が変わらなければどうにもならないことかもしれませんね。