日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

美濃近江編/1日目/垂井町・関ヶ原町・米原市・彦根市


今年最後の旅行に出かけてまいりました。西美濃に東近江と、だいたい2年前に訪問した先を再訪。
そして何と言ってもメインは「ひこね夢灯路」「錦秋の玄宮園ライトアップ」鑑賞。


ルートマップを作れるサイトを見つけたので作ってみました。結構良い感じなので、今回からはこれを付けていこうかと。はてなは直接貼り付けられないのが残念ですが、宜しければリンク先を見てやってくださいまし。2007年8月より貼り付け可能となりました。*1
それにしても、この日の歩行距離は全部合わせて20.8kmだって。実際にはそれ以上に歩いているのだから、我ながらとんでもないことだ(笑)

10:00 名古屋駅到着

新幹線で名古屋まで。東海道線に乗り換えます。

10:55 垂井駅到着

新快速に乗って40分ほど。早いけど、大垣より先は本数が少ないのが難点ですな。
垂井は2年ぶり。あのとき*2関ヶ原からチャリンコで来たので駅利用は初めて。
心配された天候は、なんとか薄曇りで持ちこたえている。しかし風が強くて冷たい(>_<)



11:15 藤樹寺

駅前より南下。宮代廃寺跡(県史跡)で、境内入り口に塔心礎がありました。

11:25 南宮大社


今回、垂井を再訪したのは前回撮り逃していた南宮大社重要文化財建造物群をカメラに収めることが最大の目的で、それはまあ概ね果たせたんですけど、今秋から始まった保存修理工事中で楼門が見らず。表看板が見られないのは、なんだか締まらないなー。


→2年前の南宮大社楼門

12:10 宮処寺跡

垂井の街に戻ってきました。東海道新幹線の高架下を通り、御所野交差点から国道21号を100mほど西へ行ったところに説明板がありました。他に標柱くらいはあるかと思って周囲を探しましたが見当たらず。県指定史跡。

12:15 春王・安王の墓

さらに西へ進む。ここも2年ぶり。折角なので立ち寄ってみたんですけど、この判断が後に痛い目を見ることになろうとは。
春王・安王の兄弟は鎌倉公方足利持氏の遺児。結城合戦に敗れて京へ護送される途中、垂井の地で処刑されています。県指定史跡。
さらにこの地は関ヶ原の戦いの際に池田輝政が布陣しており、その石碑が建っています。

12:25 金蓮寺

玉泉寺に向かう途中、陸橋が工事中だったので、迂回することに。で、その道すがら通りかかったのでついでに立ち寄る。やはり2年ぶり。春王・安王はこの寺で斬られました。

12:30 宝篋印塔

金蓮寺の西側道路沿いにある3基の石塔。町指定有形文化財

12:40 玉泉寺

ケヤキ(県天然記念物)の根元から湧き出る垂井の泉(県史跡)を見に来ました。さすが名水と謳われるだけあって水が澄んでますねぇ。

12:45 南宮大社石鳥居

旧中仙道に面して立つ鳥居は重要文化財。ここも2年ぶり。

12:50 垂井宿本陣跡

石鳥居の付近はかつて垂井宿のあった地。まあしかし街並みに宿場町の面影は薄いかな。本陣跡も石碑が建っていたのみでした。

13:10 垂井駅出発

13:20 関ヶ原駅到着

1駅で下車。関ヶ原にやって来たのは3度目です。が、今回は定番の古戦場めぐりではなく、文化財めぐりを兼ねた旧街道歩きが目的。古戦場は2年前にほぼめぐり終えてますし*3
さて出発する前に駅近くで昼食を。ちょいと奮発してうなぎです。つか、この先に食べられるところがあるとは思えなかったし、ありつけて良かった。



13:55 西首塚

関ヶ原の戦いの犠牲者を葬った地。ここは通り道だったので、立ち寄りました。

14:05 不破関関庁跡

旧中仙道を西へ進み、不破の関跡にやって参りました。県指定史跡。
関庁跡は民家の奥の畑の中にあります。畑仕事をしていたお婆ちゃんに挨拶をすると、すぐそこに沓脱石があることを教えてくれました。2年前にも来ておりましたが、全然気付かんかった・・・。ちなみに不破関壬申の乱の舞台で、沓脱石はその際に天武天皇が脱いだ靴を置いたという伝承を持つ石です。

14:15 不破関守跡

先ほどのお婆ちゃんに案内していただいてしまいました。通りに面した門や白壁は2年前にも見ていたのですが、その裏にも石碑や説明板があったんですね。不破関の写真でもよく見る光景でもあったんで、ああここだったのかとプチ感動。民家の庭先のようなところなので、案内してもらわなかったら入りにくいし、それにまず気付かなかったろうし。お婆ちゃんに感謝。お礼を述べて不破関を後にしました。
ちなみに、この関守と関庁の関係ですが、平安時代初期に関庁が廃止され、代わりに関守が置かれたのだそうです。

14:25 藤下若宮八幡神社

旧中仙道を一旦離れてこちらへ。境内の紅葉は綺麗でしたが、町指定有形文化財の本殿は覆屋にあるようで、見られずガッカリ。

14:30 自害峯

再び旧中仙道に復帰。ここは大友皇子陵墓参考地。不破関大友皇子弘文天皇)の首実検が行われ、この地に葬られたという伝承があります。
ここは以前にも来ているので、街道沿いから眺めるだけで先を急ぎます。

14:40 常盤御前の墓

国道21号を越えた先、山中の集落にあります。ここも2度目ですが、地図上の位置確認のため再訪。
常盤御前は奥州に向かった源義経を案じて後を追ってきたところ、この地で賊に襲われて亡くなってしまったと云います。あくまで伝承のお話のうえでのことですけど。

15:05 妙応寺

山中の集落を過ぎると人里離れた淋しげな道が続きます。今須峠を越え、国道21号に再合流するとようやく今須宿に到着。
国道21号・東海道線のガード下を抜けると妙応寺。境内奥の墓地に長江氏の墓(県史跡)があります。

15:30 今須門間八幡神社

今須宿から旧中仙道を離れて南へ進み、名神高速のガード下を越え、やって来ました。本殿が町指定有形文化財です。
手前の今須川にかかる橋が心もとない(^^;

15:45 寝物語の里

旧中仙道に戻り、さらに西へ向かいます。国道21号との交差点から暫く進むと岐阜県滋賀県の県境です。写真中央の溝を境に、左が岐阜県(美濃)、右が滋賀県(近江)。
かつては美濃国近江国の国境で、国境を挟んで宿屋が軒を連ねており、壁越しに寝ながら他国の人と話が出来たことから「寝物語の里」と云うらしい。



そういうわけで米原市(旧山東町)に入り、柏原の街へと急ぐ。とにかく徳源院の庭園をもう一度見たい一心なのですが、拝観受付終了が何時なのか分からないのが不安。前回*4は16時前に着いているが、今回はどう考えてもその時間には着かない。受付終了が16時半以降であることに淡い希望を抱いて、祈るような気持ちで疲れた足を必死に動かす。

16:20 徳源院


徳源院へと向かう坂道を降りて来る人々とすれ違う。10人ほどだろうか、嫌な予感がした。
ああ、やっぱり。
境内には人気はなく、客殿玄関も閉められていた。脱力(-_-;)
仕方がないので、三重塔(県有形)や京極家墓所国史跡)の撮影くらいはしておく。京極家墓所の奥に庭園(県名勝)の見事な紅葉が見えたのだが、向こうから見たらもっと素晴らしかったろうな、とか思っちゃってまた脱力。
あと30分早ければ・・・垂井駅で1本前の電車に乗れていればその30分は稼ぎ出せていた。そして春王・安王の墓や金蓮寺・南宮大社石鳥居などをカットしていればそれは充分に可能性があった。
しかしまあ、ごちゃごちゃ言ったところで後の祭りなんですけどね(>_<)

16:45 柏原御茶屋御殿跡

相変わらず石碑と説明版があるのみ。


この後、近くにあると思われた王子古墳(市史跡)を探すが、暗いし疲れたしで早々に諦め、垂井宿の街並みを通って柏原駅へ。

17:25 柏原駅出発

米原行きに乗車。随分と空いていて、余裕で着席。

17:45 彦根駅到着

米原駅で乗り換え、彦根にやって参りました。取りあえず駅前の宿にチェックインを済ませて、余分な荷物を置いて身軽にしてからライトアップ撮影にGO!



18:20 彦根城佐和口(ひこね夢灯路)

今回の撮影は2年前の失敗*5のリベンジでもあります。カメラは買い換えたし、ミニ三脚もあるし、ライトアップ撮影の経験も多少積んだし、心配は混み具合と天気だけ。って、この日は全国的に雨だったらしいんですけど、結局全く降られず仕舞いでした。相変わらず天気運は二重丸だな。


さてまずは佐和口へ。多聞櫓のライトアップは以前より明るくなっているような。これもひこね夢灯路の演出かな。そして埋木舎の白壁もライトアップされていました。

18:40 玄宮園



そしていよいよ玄宮園へ! どうですか!
紅葉は見ごろには数日早かったかな、というところですけど、充分にキレイ。写真も上出来じゃあないッスか? サイズ小さめなのが申しわけないですけど、いずれサイトの方にたくさんアップする予定なので、暫くはこれで我慢して下さい(^^;
入園料は500円で、思ったより空いていました。お陰で撮影に集中できるってモンです。天守はほんのりと赤くライトアップされていました。これも味わいがあっていいですね。ただ通常時にも再チャレンジしたい。

19:40 彦根城表門口〜大手門口(ひこね夢灯路)



玄宮園を出て内堀沿いを歩いていきます。嗚呼、ライトアップまんせー! 時間が経つのを忘れてしまいます(^^; でも20時を過ぎた頃から寒さで手がかじかんできたので、引き揚げることにしました。色々ありましたけど、最後は大満足で1日目を終えたのでした。