日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

豊臣政権の所領安堵政策/粟野俊之/戦国史研究(26号)

1993年の論文。副題は「天正十八年の「奥羽仕置」を中心として」。
豊臣秀吉の天下統一最終段階に於いて、小田原参陣を関東・奥羽の諸大名が所領安堵を受ける絶対条件とする通説に異議を唱えた論考。
最上義光や岩城常隆のように遅参を認められていた例や、秋田実季のように小田原には不参*1であった例、また逆に葦名氏や湊安東氏のように参陣しながら、実効支配に欠けるため領主として認められなかった例などがあり、小田原参陣を一義的に捉えることは出来ない、と指摘。なるほど。
ただちょっと気になったのは、所領没収となった石川氏・大崎氏などの事例。会津における奥州仕置では所領全てが没収とはなっておらず、三分の一の知行が暫定的に認められているという。この段階においても、小田原に不参の諸大名に対しても出仕の途を開いており、所領没収は大名側の対応の差がもたらしたものだとのこと。それでは、彼らはその後いったいどのような対応をして、どのような経緯を辿ったのだろう? そこまで触れてくれていないだけに、気になります。

*1:宇都宮への途中で参陣したと