日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

功名が辻 第45回「三成死すとも」

自由は死せず、ってか?

捕縛された石田三成に対して

陣羽織をかけてあげたのは黒田長政のエピソードのハズ。

土佐拝領以外の可能性

ドラマでは土佐一国への転封がすんなり決まったかのようでしたが、それについては多少の話が伝わっています。
まず正式な拝領の時期はハッキリしないのですが、関ヶ原の戦いから約2ヶ月後の11月14日付で一豊が掛川城引き渡しの指示を出していることから、それ以前に転封は決まっていたとみられます。長宗我部盛親の改易も11月12日のことということですから、その頃の可能性が高いでしょうね。
で、その後の11月18日付の本多正信書状*1に、遠江拝領の可能性を示唆する一文があるとか。つまり掛川領はそのままに加増を受けるということ。そりゃ見も知らぬ他国より、勝手知ったる土地の方がいいですものね。一豊が家康に対して何らかの働きかけをした可能性もありそうです。
また、榊原康政の家臣が下野の大関資増に宛てた書状には、一豊は伊予に決まった、ということが記されているそうで、少なくとも土佐以外の案も検討されていたのでしょう。

*1:『一豊公紀』所収「御手許文書」