日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

功名が辻 第40回「三成暗殺」

いよいよ残り10回を切りました。成るかラストスパート。

朝鮮より撤退

「明国との講和が成立した」と字幕が出て、帰還した諸将が登場。
講和が成って、平和的に撤退することが出来たかのような印象を受けるが、いつ講和が成ったんだろう? 日本軍は帰路も激烈な戦いを行ってようやく帰還している。李舜臣が戦死したのは、その折りの露梁海戦でのこと。

慶長の役福島正則

加藤清正小西行長とともに帰還諸将の中心人物として、当然のように描かれていますけど、どうなの? 文禄の役は渡海出陣していますけど、慶長の役は出陣していないような・・・ちょっと調べきれずハッキリしないのでもどかしい。
それと、領国に戻っても云々いうてましたけど、3年前に秀次事件の後を受けて清洲24万石に栄進してますよね。
思うに、黒田長政あたりの代役として登場させたのではないかと。そう考えると、関ヶ原合戦の折りの東軍諸将って、福島正則くらいしか出番ないかも(^◇^;)
あとは小田原合戦後の論功行賞でちょい役出演した池田輝政くらいか・・・。

「豊臣」と「徳川」という対立軸

秀吉没後の政治状況をそんな風に認識していた人物っているんでしょうかね。
家康は豊臣政権の体制内で権力を伸ばそうとしている、そんな状況下で。

三中老プラスおまけ1人

五大老五奉行より三中老にスポットが当たるのはこのドラマならではでしょう*1
そして三中老唯一の見せ場(?)である家康糾問に向かいますが、「ひー、ふー、みー。あ、あれ?!」ひとり多いぞ(笑)。勿論おまけは一豊。お約束ですね。
秀吉死後、会津遠征に出陣するまでの一豊の動向は、それほど詳しいことが分かっていないので、こうでもしないと出番が作れないんでしょう。それに、一豊が生駒親正を追いやって三中老に居座ってたりしないぶん良心的かも。

七将の石田三成襲撃事件

女装して逃げる三成を一豊が手引き。そして隠れ潜んだ橋の下で語り合う二人。
どこのB級時代劇ですか?!
ひさびさのオモシロ設定に噴き出してしまいました。最近、物足りない部分があったので、そういった意味では大満足です(笑)。
さて通説では、石田三成徳川家康の屋敷に逃げ込んだとされるのですが、これは笠谷和比古氏の指摘により誤りであることが判明しています。当時の史料には、家康の屋敷*2に逃げ込んだと記すものはなく、いずれも伏見城内の治部少丸*3に楯籠もったと記しているという。そして家康は三成を匿ったのではなく、仲裁に入ったのでした。
まあ、このエピソードは通好みな話ですから、欠かすことは出来ないでしょうね。『義経』における勧進帳みたいなものかな?

*1:徳川家康石田三成は別格。

*2:伏見城外の向島にあった。

*3:三成の屋敷があった。