日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

功名が辻 第37回「太閤対関白」

先週放送分です。なんとかこの土日で追いついておきたいところ。

淀殿はいつまで淀城にいるんだ?

鶴松出産時の産所は淀城でしたが、秀頼出産時の産所は大坂城二の丸。それゆえ、この当時の秀吉の手紙では淀殿を「二の丸殿」と呼んでいる。
そして、淀城は木村常陸介に与えられているハズ。木村常陸介は存在しないことになってるんかな、と思いきや、なにげに登場してるし・・・どうなってるのやら。

ひさしぶり前野長康

忘れ去られた感のあった前野長康が再登場。秀次失脚事件、そして彼自身の死へ向かっているだけに複雑なところ。
それにしても、前野長康って渡海していたんでしたっけ?

秀次家臣団の暴走はあったのか?

豊臣秀次の家臣として前野景定・不破万作が登場。おや、不破万作は近藤周平クン(浅利陽介)じゃあないですか。不破万作は秀次の小姓ですから、またもやそういった役どころなんですね(^^;
それから木村常陸介。彼は小田原合戦のときから秀次の軍事指揮下に入り、そのまま秀次を支える立場となったようですが、彼については不明なことが多くて分からないことだらけです。まあ、淀城18万石の大名であったことから、秀次の直臣というより一豊などと同様に秀吉より秀次に付けられた宿老という立場であったでしょう。18万石という石高は、一豊はむろんのこと中村一氏堀尾吉晴を上回っている。しかも領国が山城淀であることを考えれば、一豊などと異なり、関白の政務を補佐する役割にあったのではなかろうか。ドラマでは前野・不破らと同様の立場みたく描かれていましたが、それもこれも淀殿に淀城を占拠されたままであるためなんでしょうか(苦笑)。
さて、秀次の謀反は冤罪というのが定説となっていて、ドラマもそのように展開していますが、気になるのは秀次近臣が連判状を作るなどの暴走行為を行ったのかどうか。有名な事件の割に秀次側の動向について具体的なことはよく分からんのですよねぇ。