日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

埼玉編/川越市


来週から一週間奈良へ行ってきます。
それはそれで楽しみなわけですが、7月の宮城旅行以来引き籠もっておりましたので、いきなり一週間も歩き回れるかどうか不安だし心配だし・・・。というわけで、鈍った体をほぐすべく、今日はウォーミングアップとして川越散策に出かけました。

9:35 川越駅到着

日進駅から川越線に乗車。15分ほどで到着。まあ、今回何故川越を選んだかというと、近いから、ということだけなわけですが。
川越には何度も来ていますし、史跡めぐりは四度目。隣町ということを考えれば少ない方でしょうか。それに行ったところは有名どころばかりだし、重複してるし、写真も満足に撮れていないので、改めて文化財史跡をローラー作戦で歩き潰して行こう!ということでスタート。


駅前東口には変なオブジェが。

9:50 浅間神社

最初は川越駅から南東へ向かいます。市街地・観光地は駅の北側なので、こちらは人通りも車通りも少ないですね。
ここには万葉遺跡占肩の鹿見塚(県旧跡)・浅間神社古墳(市史跡)とあるのですが、境内の広場でオッサン達がソフトボールをやっておりました。いや、広場といってもそんなに広くないんでもっと広いところでやって欲しいんですが・・・それはそうと、これでは写真を撮りまわることは出来そうもないので仕方なく退散。近いんだから、また来ればいいや。

9:55 愛宕神社

愛宕神社古墳(市史跡)があります。というか古墳の上に神社が建っています。石段の右側にものすごい蜘蛛の巣が張っていて大変。虫嫌い(>_<)

10:10 長徳寺

国道16号沿いを北東へ。ここに来るのは二度目。
仙波氏館跡(市史跡)と云われる地なのですが、高台だということ以外は特にそれらしい遺構はない模様。


長徳寺(2004/01/03)

10:25 三変稲荷神社

三変稲荷神社古墳(市史跡)ということで、古墳の上に神社があるのですが、こちらの古墳は小さな塚で、先ほどの愛宕神社とはだいぶ趣が異なります。

10:35 小仙波貝塚

遺跡地の北東隅に小さな広場があって石碑と説明板が立っています。それだけのようです。市史跡。

10:45 中院

いよいよ観光地へ突入、ってことで小仙波貝塚からまっすぐ西へ進むと仙波東照宮の門前にたどり着いたのですが、そこは焦らずに一度南へ方向転換してこちらにやって来ました。
とりあえず境内の写真を撮るだけ撮って退散。市史跡。

10:55 光西寺

中院の南隣の真宗寺院。松平周防守家廟所(市史跡)があるのですが、説明板が見当たらず墓地内をキョロキョロ。「松井家累代之墓」を見つけたので、ひとまずそれを写真に収めて退散。あとで調べてみたところ正解だったようで。一族の墓塔が立ち並んでいる様子を想像していたのですが、合祀墓なんだそうです。
あ、ちなみに松平周防守家は最後の川越藩主となった松井松平氏のことです。

11:10 仙波東照宮

来た道を戻って今度こそ仙波東照宮へ。日光東照宮とは比ぶべくもありませんが、他の東照宮には引けを取りません。本殿・唐門・瑞垣・拝殿及び幣殿・鳥居・随身門の6棟が重要文化財
そういえば以前一度来たことがあるのですが、そのときは夕方遅くなってしまったため拝殿前の門扉が閉ざされていてそこで引き返さざるをえませんでした。

11:25 喜多院

仙波東照宮の北隣。天海大僧正ゆかりの寺院。さすがに名刹、参拝客がひっきりなしです。
ここに来るのは三度目、内部拝観は二度目。拝観料400円(庫裏・書院・客殿・慈恵堂それぞれの内部見学と五百羅漢見学)。


取りあえず松平大和守家廟所(市史跡)へ。以前来たときは、その日が台風だったため、倒木とかあって荒れた感じがありましたが、さすがに綺麗に整備されておりました。
ちなむと松平大和守家は、越前系松平氏親藩で、松平周防守家の前の川越藩主。


松平大和守家廟所(喜多院)


次は慈眼堂(重要文化財)とその奥にある喜多院歴代住職墓所を見学。墓所には扉がありましたが、施錠されているわけではなかったので失礼させてもらい、墓所内にある暦応の古碑(市史跡)をパチリ。扉を元に戻してそそくさと退散。


その後は庫裏などの内部見学に五百羅漢見学の定番コースへと。
12:00を過ぎてだいぶ疲れたので、お土産物店でいもアイスを片手に休憩。いもアイスはまったりとしたお味で。個人的にはアイスはサッパリしたのがいいな。

12:30 喜多院斎霊殿

喜多院山門を抜けて東へ徒歩3分ほどのところにあります。どうやら葬儀場のようで。
建物には用はなく、墓地へまっしぐら。小河原家の墓・高林謙三墓(ともに市史跡)を発見。しかしどうやらもうひとつ史跡のお墓があったらしい。これもまた次回の宿題に。

12:35 日枝神社

来た道を戻って喜多院山門前にある小さな神社へ。東京赤坂の日枝神社はここの分祠だそうです。
真新しい拝殿の裏に隠れた本殿は重要文化財。周りを囲う柵の合間から苦労して撮影。

12:50 川越城富士見櫓跡

ここは川越城の数少ない遺構のひとつ。川越城のシンボルのあった場所ですが整備状況は相変わらず。
そういえば復元整備するって話はどうなってるんだろう?


パラメタエラー

13:05 三芳野神社

わらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地とされる地。城内、しかも本丸東隣の天神曲輪に位置したため、庶民の参拝には厳しい制限があったようです。現在は、境内に城郭の面影は全くありません。

13:20 川越城本丸御殿

城郭の御殿建築が残るのはここ川越城のほかは二条城・掛川城高知城だけ。本丸御殿ともなると川越城高知城のみ。まあ、川越城のは丸々残っているのではなく、一部ということなんで、そのためか文化財指定も重要文化財ではなく県有形文化財どまり。一時期、学校の体育館(?!)だったそうで傷の多いのもマイナスポイントか。それでも立派な玄関が残っていますからその見てくれや良し。
入場料100円。川越市立博物館・川越市蔵造り資料館との三館共通券は300円。


本丸御殿の東正面には堀底を利用して作られた川越初雁球場があります。

13:45 川越市立博物館

川越城二郭跡にあります。三度目だし、特に見たい展示があるわけでもなかったのですが、文化財マップ(100円)を購入するために入館。位置が分からない文化財も多いので、このマップをもとに次回訪れる際の行程を練るのだ。
入館料200円。私は上記の三館共通券を使用。元は取れた。

14:10 川越氷川神社

大宮氷川神社分祀に始まる神社。なんか、縁結びの神様がウリらしいっす。結婚式場を併設しているのもそういうことなのね。この日も拝殿に入る花嫁さんと親族の人々を見かけました。中の様子が窺えないのが残念でしたが。
さて、ここの本殿(県有形文化財)は彫刻が見事! 柵が邪魔で上手く撮れなかったのが無念であります。


ドメイン変更のお知らせ:縁結びの神様 川越氷川神社:安産、お宮参り、戌の日

14:30 広済寺

お昼も食べずに真夏の5時間歩きっぱなしは流石に応えます。そろそろ昼飯にしよう、ということで蔵造りの町並みの方へ向かう。
その途中のこの寺に通りかかり、折角なので立ち寄って、金毘羅堂(市有形文化財)・中島孝昌墓(県旧跡)を見学。水戸藩十九烈士埋葬地(市史跡)でもあるが、いまは位牌のみだそうな。

14:45 大沢家住宅

ようやく蔵造りの町並みに到着。一帯は重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けて景観保存が図られています。その中でも大沢家住宅は唯一の重要文化財建築。とりあえず外観写真だけ撮っておきました。
それにしてもかなりの観光客が来ている。狭い歩道は人混みで溢れかえり、車も数珠繋がりで渋滞の体を成している。なんだかそれだけでもうどっと疲れが。他にも文化財建築があるのだけれど、これでは厳しい。朝早くに来るとかしないと満足に撮れそうにない。次回の宿題だ。

14:50 川越市蔵造り資料館

三館共通券があるので取りあえず入る。2棟が市有形文化財なのだが、どれとどれなのか確認すらせずに出てきてしまった。疲れているらしい。

15:05 時の鐘

川越のシンボル。市有形文化財
その姿が見えたので、ついフラフラと撮りに行ってしまう。

15:15 蓮馨寺

南へ南へ進むといつの間にか蔵造りの町並みを抜けていた。人混みもだいぶ解消されて、人心地つく。
門前にたどりついたので立ち寄る。蓮馨尼の墓(市史跡)があるのだ。蓮馨尼は川越城代大道寺政繁の母だそうだ。


境内を出て、近くにあった蕎麦屋に入る。暑いときは蕎麦に限る。というわけでようやく食事にありつきました。でも、あとは周辺の文化財建築をいくつか見ておしまいにすることにしました。ウォーミングアップという初期の目的を考えればもう充分すぎるので。

15:40 吉田家住宅、加藤家住宅

どちらも現役の商家で、市有形文化財



最後に旧川越織物市場と旧栄養食配給所(ともに市有形文化財)を訪れようとしたのですが、入り口が閉まっていました。見学は管理されているようです。張り紙があって、それによると8月はお休み、次回は9月24日の予定・・・だって。これは行くしかないか。奈良旅行の翌週なので準備計画が追いつかないかもなぁ。