日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

太閤の手紙/桑田忠親/講談社学術文庫

太閤の手紙 (講談社学術文庫)

太閤の手紙 (講談社学術文庫)

底本は1959年刊行だということで、50年近くも前のものですから、さすがに時代遅れの記述内容も見受けられる。本能寺の変に関するところとか。
ただちょっと気になるのは、三好吉房の出自について阿波三好氏の一族などと書かれていたこと。三好吉房は御存知豊臣秀次の実父。彼が三好名字を称したのは、秀次が三好康長の養子となったのに伴ってのこと、というのが現在の通説だと思いますが、三好吉房自身が三好氏の出身などという話は聞いたことが無かったので、これも時代遅れで片付けてよいものやら。


さて、内容ですが、秀吉の手紙を読み下し文で紹介し、解説を加えるといったものです。かなり多くの手紙が紹介されています。秀吉の手紙は過剰といっていいくらい人間味に溢れていて、読んでいて楽しい。とはいえ、私は読み下し文ですら満足に読めないので、もう少し細かい部分まで解説を付けてくれるとなお良かったのですが・・・(^^;;
それから、手紙の出典が記されていないのでそれも気になります。淀殿宛ての手紙などは一体どのような経緯で伝わったのだろう?


本書についてネットを辿っていると、興味深い記述をなさっておられるブログに行き当たりました。

あらためて太閤の手紙を眺めていて、その晩年のものに思うのは、たしか司馬遼太郎だったろうか、晩年の秀吉が気がふれたようになると強調されて捉えられることがあるが、手紙を見る限りは、正常者にしか思い描けない。恐らく、半島への行為に関する評価の戦後的な感覚が投影されて、ああいう説明を与えたくなったのであろう。
研幾堂の日記

なるほど。これは鋭い指摘です。確かに手紙を見る限りでは晩年に至っての変化はあまり感じられませんでした。大袈裟なところは終始あの調子なわけで、それをもって気が触れていたとするならば、それは晩年に限らず、生まれながらの彼の性質でありましょう。
司馬作品は読んでいませんが、これが戦後史観のひとつであるという可能性は非常に高いように感じます。司馬作品を原作とする大河ドラマ功名が辻』ではどのように描かれるだろうか。あまり期待できそうにはないけれど・・・。