日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

功名が辻 第32回「家康の花嫁」

旭姫の輿入れ、人質となる大政所、そして家康と秀吉の対面、と定番メニュー。旭姫の一件に千代がしゃしゃり出てくる程度で新鮮味は少なめ。そういえば、一豊は出番こそ多いものの存在感は恐ろしいくらいに低い。悲しい。

旭姫の輿入れ

天正十四年(1586)5月14日、浜松城に入って家康との婚儀が執り行われました。
一豊はこの輿入れの際の通行にかかる人夫の徴発、つまり街道の整備やら街道沿いの警護やらのためだと思いますが、それを秀吉から堀尾吉晴ともども命じられています。これが旭姫と山内一豊との接点として唯一分かっていることなのですが全くもってスルー。一豊が警護役として旭姫に付き従って浜松まで赴くくらいの展開を予想していたのですが、何だか拍子抜けしました。

蜂須賀正勝

天正十四年(1586)5月22日。旭姫の輿入れから一週間余。大政所を人質とする話が浮上するとも思えず、最期の展開はご愛嬌でしょう。
それにしても序盤はともかく、それ以降は出番も少なく、活躍するシーンもほとんどなかったのは残念。それとステレオタイプな人物像もそろそろ何とかして欲しいところ。

人質の大政所

天正十四年(1586)10月18日、岡崎城に到着。ちなみに、家康は既に9月末には上洛を決断していたようです。
そういえば、家康の帰還を待っている間、本多重次がイザというときのために大政所を焼き殺す準備をしていた、というエピソードがありましたけど、今回は盛り込まれませんでした。

徳川家康上坂

天正十四年(1586)10月26日。