日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

功名が辻 第25回「吉兵衛の恋」

今回は清洲会議から賤ヶ岳の戦いに至る合間のストーリー。
そして五藤吉兵衛に死亡フラグが立ちまして、次回へ続くのでした。にしても恋物語まで次回へ持ち越さんでもいいのに(苦笑)。

お市様暗躍

柴田勝家が置物状態(笑)

大徳寺での信長葬儀

天正十年(1582)10月15日。
唐突に羽柴秀勝が出てきてワロタ。
いやまぁ、喪主を務めた重要人物ですから、エピソード単体としては理解できますけど、ここで出したことによって、これまで全く出てこなかったことが逆に目立ってしまいます。
葬儀のシーンも至極あっさりしたものでしたから、出さないという選択肢もあったと思うのですが。

長浜・岐阜出兵

天正十年(1582)12月7日、秀吉は京都を発って近江へ出陣。
既に工作済みだったのでしょう。瞬く間に長浜城の柴田勝豊は降参、さらに美濃の諸将も秀吉の下に参じ、孤立無援の織田信孝は降参を余儀なくされています。
ところで、軍陣に蜂須賀小六黒田官兵衛が居りましたが、当時この両名は毛利氏との交渉のため中国へ赴いていたようです。

五藤吉兵衛の年齢設定

ついに明らかになりました。天正十年(1582)で58歳なのだそうな。
史実年齢は当時30歳ですから、『功名が辻』での彼は父・五藤浄基との親子二代を併せて作り出されたキャラクター、という話も頷けます。
そして武田鉄矢は数え年で58歳ですから、ようやくと言うか遂にと言うか、設定に追いついたんですね(笑)。
それにしても、初回の永禄三年(1560)は36歳設定だったということになり、そのギャップに笑えますが、他の配役も初回のギャップは大きかったものの*1、ここに来てだいぶしっくりくるようになっています。天正十年(1582)が目安のひとつになっているのかもしれません。