日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

埼玉編/さいたま市岩槻区


5月5日はこどもの日。こどもの日といえば五月人形。ということで人形の町岩槻にやってまいりました。人形に関するところには全く行ってませんけど。
さて、岩槻がさいたま市に合併されて早1年経つのですが、未だに市内という感覚がどうにもしっくり馴染まないんですよねぇ。隣市でしたがこれまでほとんど行ったこともありませんでしたし。近くて遠い街、といったところでしょうか。


電車で行って歩いて廻るか、自転車で行って廻るか。岩槻まで10km以上あるので自転車で行くにはちょっと遠くはありますが、向こうで廻る範囲は結構広いので、自転車で行ってみました。天気も良くてサイクリング日和でしたし。


10:30に自宅を出発。途中、カメラのレンズクリーナーを購入するため電気店に立ち寄ったり(無駄足でしたけど)、なんだかんだで岩槻に入るまで1時間くらいかかってしまいました。
まず最初に向かったのは岩槻北部に位置する相野原の一里塚(県史跡)。なんですが、見つかりません! さいたま市教育委員会発行の「さいたま市文化財マップ」に記されている辺りをウロウロしてみてもそれらしきものは見当たらず。一里塚そのものが消えかかっているらしいですが、まさかもう消えてしまったとか?! いや、しかし碑も説明板も見当たらないというのもどうにも。

12:10 慈恩寺

ジーク・ジオン!(笑)
全国のジオニストが続々と集結。いや、どうやらお祭りがあるらしく町内の人々が集まってきただけのようです。取りあえず境内の藤棚が見ごろでした。

12:40 龍門寺

九代将軍徳川家重側用人で、岩槻城主に取り立てられた大岡忠光の墓(市史跡)があります。

13:00 浄安寺

13:20 時の鐘

13:25 郷学せん穀堂の碑

岩槻区役所の東、民家の庭先に石碑が建っていますが、非常に分かりにくい。自分でもよく見つけられたと思う。道から説明板がチラッと見えなければ諦めていたでしょう。市指定史跡。

13:35 岩槻城跡

本丸以下の主郭部は市街地として開発が進んでいて遺構は見られず。新曲輪跡が岩槻城址公園として整備されていて、ピクニックの家族連れで賑わっていました。
移築された城門・裏門(ともに市有形文化財)、それに空堀・土塁が残存。県指定史跡。

14:15 渋江鋳金遺跡

森の入り口に石碑と説明板が侘びしげに立っていました。県指定旧跡。

14:20 真福寺貝塚

今は野っ原。国指定史跡。

14:35 岩槻藩遷喬館

今年三月に解体復元工事が終了し、このGWに一般公開が始まったばかり。畳とか真新しいし、内部には何も置かれていないのでちょっと殺風景な感じ。県指定史跡。


http://www.saitama-np.co.jp/news05/02/16x.html

14:55 愛宕神社

岩槻城の外郭土塁が一部残存、というか土塁上に社殿が建っています。

15:15 芳林寺

岩付城主太田氏資の宝篋印塔(市史跡)があります。
氏資は太田三楽斎の長男。北条氏と敵対した父を追い出し、北条氏康の女婿となって北条氏に従った氏資ですが、里見氏との戦いに狩り出されて上総三船台で戦死しています。
傍らには真新しい太田道灌の供養塔が建っていました。

15:30 浄国寺

先日、市指定史跡に指定されたばかりの阿部家の墓は本堂裏手にありました。


さいたま市文化財に新たに2点 - 日本史日誌

15:40 洞雲寺

有形文化財の山門を見て、本日は終了。