日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

功名が辻 第16回「長篠の悲劇」

創作話ばかりがメインなので、なんだかイマイチ入れ込めない。まあそれは毎度のことかな。それと信長を革新的戦略家とする演出も過剰すぎてげんなり。

旭姫の前夫について

前々回の言及に対するコメントで色々情報を頂いております。興味のある方はこちらを参照して下さい。


それにしても、数々の普請事業*1を行ってきているハズの羽柴勢は有能な技術者を多く抱えていたと思われるのですが、ポッと出の源助さんが頼みって・・・ご都合主義ですなぁ。

桶狭間の戦い

劣勢明らかな織田信長今川義元桶狭間で破ったのは何故か。
それは梅雨時の激しい雨が、敵方に火縄銃を使わせなかったことに一因がある。勝つためには天候をも自在に利用する。それが天才信長の戦略だった。

ナレーションを引用。
ちょっと待て。一体何を根拠に荒唐無稽な解説をするのだろうか。
信長公記』に拠れば、信長勢が攻め掛かる直前に豪雨となり、止んでから攻め掛かっている。つまり通り雨だったわけですが、上記の説明でいくと通り雨が降るタイミング正確に把握したうえで進軍した、とこういうことになる。当時もある程度は天候を予測することは出来たものと思われますが、いくらなんでもそこまで正確には分かるまい。自在に利用したのではなく、偶然を味方にしたというのが妥当なところでしょう。

長篠の戦い

「鉄砲三段撃ちvs騎馬軍団」という構図、大量の鉄砲を用いた信長の革新性を謳う、いずれも従来の解釈に留まっている。長篠の戦いについては以前にまとめたものがあるので、そちらをご覧下さい。4年前のものなので、恥ずかしいところもあるかもしれない。あとで見直してみよう。(^^;


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あと、今回は梅雨明けを信長が待っていたという話が出てまいりましたが、それもどうでしょうかね。岐阜出陣は5月13日ですが、信長は河内の三好康長攻めから4月28日に帰還したばかり。僅か2週間での出陣で、休息や補給を考えればそれほど待ったとは言えないでしょう。
しかも合戦の前日、天正三年(1575)5月20日には雨が降ったともいいますし*2、梅雨の真っ只中だったのでは? 合戦当日に雨が降らなかったのは、たまたまではなかろうか。

一豊の妻懐妊

天正八年(1580)生まれとされる与禰姫。まだ天正三年(1575)なんで別人・・・いや、予告では与禰姫が生まれている。前倒しですか。

*1:有名な墨俣一夜城の話に信憑性はありませんが、ドラマのストーリーとしてはこれを肯定しているわけですし。

*2:未確認情報。ただし、ドラマでも雨が降っている。