功名が辻 第4回「炎の中の抱擁」
はいッ!てことで、今回もまた山内一豊周囲のお話は全面的に虚構。ですから、そこらへんについて一々突っ込みを入れるのは甚だ面倒。むしろネタ元のある話を紹介していく方が楽ですね。
武士と百姓
武士を捨てて二人で田畑を耕して暮らそう、と千代がいう。そこは義経の「新しき国」かい?(笑)
が、世の中そんな甘くはない。農民だって、戦争と無関係ではいられない。戦場になれば濫妨狼藉を受けるし、奴隷にされたりもする。支配者に徴発だってされるし、無論彼ら自身も武装するから、隣村と合戦したり、一揆を組んで支配者にも立ち向かう。
稲葉山城の陥落
永禄十年(1567)8月、織田軍は美濃三人衆を引き入れて、電撃的に稲葉山城を包囲。落城の時期は8月15日ともされるのですが、9月ではないかともいい、どうやらハッキリしない模様。詳細説明キボンヌ。
とりあえず、城主斎藤龍興は長良川から伊勢長島へと落ち延びているので、あんなに山上の建物が炎上するほどの戦いは無かったものと思われます。それと、木下藤吉郎が堀尾茂助の道案内で城攻めに功を立てたというのは『太閤記』など軍記物による俗説の類でしょうね。
また、戦後に一豊が50石に加増されたという話がありましたが、あれは全くの虚構。虚構ストーリーは構いませんが、あのようにさも「史実に基づいています」的な粉飾はいけ好かない。虚構なら虚構らしく曖昧にしておけば良いじゃないか。
名馬購入資金を千代に
やっぱり、へそくりで名馬を購入するお話は欠かせないよね。
その名馬購入資金の出所については諸書によって異なるそうですよ。一豊の母・法秀院から贈られたという話もあるということで。まあ、伝説ですから、あまり細かいところまで興味はないのでこの辺で。
それより、不破市之丞の爆発頭はまるで古典的なコントじゃないか。それに一豊と千代が結ばれるように、竹中半兵衛があれこれ策したりとか*1、何だか今年も珍作へと向かっているように感じるのは気のせいでしょうか?