日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

功名が辻 第3回「運命の再会」

浅井・朝倉の滅亡に至るまでの山内一豊の足取りは掴めないので、今回もまた主役夫妻に関する部分は虚構。まぁ、目につくのは、一豊の織田家仕官も千代の成長も前倒しで進んでること。あとは与力(寄騎)として秀吉に付けられているものの、ほとんど従者のような扱いというところですね。なんかもう股肱の臣ですよね、ありゃ(笑)。

墨俣一夜城

プレハブ工法だの何だのっていう話は一般的にもだいぶ有名な話だとは思いますが、これらは『武功夜話』という信憑性に問題のある史料に収められている「永禄墨俣記」に基づくもの。
武功夜話』は一時期もてはやされていたということですが、現在ではその扱いに慎重さを求められている状態、てゆーか、ぶっちゃけ疑わしいわけで。しかも一夜城については他にさしたる史料がない、その上もともと墨俣には砦があったとみられる、ということで実際には斎藤方より奪い取った砦を修築した程度とみられます。

竹中半兵衛稲葉山城奪取

永禄七年(1564)二月の出来事。竹中半兵衛の清廉さと斎藤龍興のバカ殿ぶりを随分とデフォルメ化しておりましたが、竹中半兵衛の舅・安藤守就ら西美濃三人衆*1日根野備中・長井隼人らの政治的抗争という面もあったと考えられており、単純な話ではなかった模様。
さらに城を返還したことについても、挙兵から半年後の八月であったことから、奪取したものの国人らの支持を得られず維持し難いと見て和睦したのではないか、という向きもあります。

*1:不破光治を入れて四人衆とも。