功名が辻 第2回「決別の河」
浅井・朝倉の滅亡に至るまでの山内一豊の足取りは掴めないので、しばらくは創作の物語が続きます。おまけに今月は原作にもないストーリーなんだそうで。
だからこそ信長や秀吉といった知名度の高い人物の話をなんとか絡めて、視聴者の興味を惹こうとしているんでしょうね。といってあんまりやりすぎると一豊の存在感が薄くなるし、ましてや初回の桶狭間のように一豊を無理矢理絡ませすぎると白けてしまう。上手い塩梅に加減してところですがハテサテ。
「やまうち」と記した書状
アバンタイトルで「やまのうち」でなく「やまうち」であるという説明。しかし「かつとよ」についてはスルー。
そして淀殿侍女の大蔵卿局より山内一豊に宛てた書状の映像が出てきた。おー、これかこれか。どこが所蔵してるんでしょうか? まあ、とりあえずキャプってみました。
桶狭間の戦い後の三河戦線
翌永禄四年(1561)の春に和睦に至るまでは、武力衝突があった模様。
しかし、それ以前より和睦の交渉が進められていたと見られるし、軍事行動もさほど目立たない程度なので、信長としても端役から美濃攻略に主眼を置いていたのでしょう。
山内康豊の消息
美濃の牧村氏に仕官しているとな?! いや、それは一豊のエピソードだろう。いくら弟だからって、エピソードまで兄のお下がりにしなくっても。
それはそうと、山内康豊は美濃の長井弥兵衛利直の婿養子になったとされるのですが、一方で姉のお米の嫁ぎ先とされるのが長井源兵衛利直という人物。どちらも長井隼人という斎藤家重臣の甥とされるので、同一人物なのであろうか。しかし両者とも経歴等は不詳だそうで、どうも系譜が混乱しているように思えてならない。