日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

功名が辻 第1回「桶狭間」

いやー、遂に始まりましたね。今年も1年よろしくお願いします。


アバンタイトルにて、長篠の戦いが「織田の鉄砲隊vs武田騎馬軍団」という時代遅れの描写があり、非常に不安なスタートを切りましたが、全体的にはまずまずでしょうか。あとは面白いドラマになってくれれば・・・『利家とまつ』の悪夢*1再来だけはご勘弁願いたい。夫婦で力を合わせて下さい。
ところで、スタッフ&キャストロールが横書きでしたが、大河ドラマでは珍しいのでは?初めてかな?

「やまうちかずとよ」

一般に浸透している「やまのうちかずとよ」と、当時の読み方とみられる「やまうちかつとよ」の折衷案で来ましたか。なんか中途半端ですね。

見性院一豊の妻)近江出身説が採用される

近江説も美濃説も決め手を欠くからには、どちらを選択しても違和感のあるところですが、物語の設定上致し方ないところ。
ただ、近年では美濃説が有力になってきているので、近江説を採ったということは近年の学説云々ではなく、原作の設定をそのまま使用しているのかもしれない。

若宮喜助は戦死した?

そもそも見性院の父とされる若宮喜助なる人物がどういう人物なのか、確実に示す史料は残されていないとのこと。一豊の妻と混同されていた「まつ*2」の父・若宮左馬助と同一人物*3と見られていたため、近江国坂田郡飯村の地侍とされてきたわけです。
で、その若宮左馬助は永禄九年(1566)に戦死したことが、浅井長政書状(「若宮家文書」)によって分かっています。ドラマ内の年代は永禄三年(1560)なので、その時点での戦死は虚構なわけです。といっても、若宮左馬助と若宮喜助が同一人物でなければ、そもそもこんな考証も無意味なんですが。(^^;

放浪する山内一豊

前年の永禄二年(1559)の主家・岩倉織田家滅亡、それに加えて父・盛豊の死によって、一豊と母、それに弟妹は親類縁者を頼って転々とし、永禄三年(1560)には美濃の牧村氏・近江の山岡氏に仕官したとも云います。
それらはスルーされて、尾張国内を放浪している模様。仕官先を探しているらしいが、尾張に居たんじゃ仇の信長に仕える他ないんじゃ?

祖父江新右衛門(前田吟)って誰?

浪人・山内一豊の従者二人のうち、五藤吉兵衛為浄は分かるんですが、祖父江新右衛門に該当する人物はいるんだろうか? 山内家家臣に祖父江名字の人物は幾人かいるのですが、どうも新右衛門とは合致しないような・・・うーん。

小豆坂の戦い

お市濃姫の話の中で唐突に出てきました。あんまり説明もなかったので若干補足しておこう。
まず、小豆坂の戦い織田信秀三河に侵攻した際の合戦で、天文十一年(1542)と天文十七年(1548)の2回あったと云われますが、天文十一年については虚構と見られています。そしてその天文十一年の合戦が織田勢が今川勢を打ち破ったとされる戦いで、天文十七年の方は今川勢の勝利とされています。つまるところ、小豆坂の戦いは織田家にとってあまり縁起のいい合戦ではなかったのではないかと。

近江から尾張への移動の謎は人買いによるもの

子供がひとりでどうやって、近江から尾張へと行くのかと訝っていたのだが、その答えは人買いにさらわれていたのだった・・・なるほど。

川並衆の縄張りはどこ?

木曽川沿岸ではないのか? そうであれば美濃は対岸だと思うのだが、方向が違うって一体・・・謎だ。



今日の所はひとまずここまで・・・つづきは後日。

*1:妻のまつがひたすら目立って、まつがひたすらマンセーされるだけ。夫の利家は全く影が薄かった。

*2:山内家重臣・五藤為重の妻。

*3:近年では一族の別人とみる向きも。