日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

島原の乱/神田千里/中公新書

島原の乱 (中公新書)

島原の乱 (中公新書)

  • 第1章、立ち帰るキリシタン
  • 第2章、宗教一揆の実像
  • 第3章、蜂起への道程
  • 第4章、一揆と城方との抗争
  • 第5章、原城籠城
  • 第6章、一揆と信仰とのつながり


島原の乱の評価や見解について、これまではほとんど曖昧にしか理解していない、いや本書を読む以前はどのように理解していたのかよく分からないという体たらくだったのですが、本書を読んでようやく一本筋が通ったというか、ベースとなるものが出来たというか、そんな感じです。


まずは、乱勃発の経緯を自分なりにですが、簡潔に分かりやすくまとめてみました。

かつて島原・天草はキリシタン大名が治めていた*1
↓
乱の10年ほど前にキリシタン弾圧が強まる
↓
人々は棄教
↓
乱の年に大飢饉発生
↓
終末思想が流布
↓
棄教した天罰、祟りじゃぁ〜!
↓
人々はキリシタンに立ち帰る
↓
エスカレートして寺社を攻撃、異教徒に改宗を迫る
↓
領主はこの動きを容認できず、戦闘に至る

何というか、ひと言でいうと「集団ヒステリー」そんな印象を受けるんですがどうでしょうかね?(^^;


それで一般的に島原の乱は、宗教一揆としての側面と農民一揆としての側面があると言われておりますが、本書では農民一揆としての側面は端緒に過ぎず、本質は宗教一揆にあると見ています。
一揆勢が寺社を攻撃したこと、異教徒に改宗を迫っていたこと、これらのことから蜂起の動機が宗教色の強いものであったと指摘しており、成る程といったところ。


その一方で、キリシタン弾圧は乱の10年ほど前に一段落しているそうで、これが結構意外だったのですが、そういうことでキリシタン弾圧が乱の直接要因とはならないことを指摘。ということで契機はやはりその年の飢饉にあると見ていますが、従来のような領主の重税への抗議行動として乱を起こしたと見るのではなく、キリシタン「立ち帰り」を引き起こし、それが乱への序章となったと、そういうことのようです。


それから宗教一揆といってもいわゆる殉教戦争ではなく、訴訟のための蜂起という中世の徳政一揆の性質を持っていたことを指摘。近世とはいっても、まだまだ中世、特に戦国時代の気風を残していたようで、同様の指摘も他にいくつかあって興味深い。この辺は藤木久志氏の社会民衆史研究の成果を取り入れている模様。
また、一揆の内実はかなり温度差があったという指摘も興味深い。宗教一揆なので信仰による団結力が強そうだし、それに乱の結末が玉砕のような形になりましたから・・・ね。しかし実際には多くの投降者が出ており、その数は少なくとも数千には及ぶ模様で、しかも彼らはキリシタン改宗を強制されやむを得ず従っていた、と。最後まで籠城していた人々の中にもそういった人々は居たと考えられるし、また一揆の指導層はそういう人々が抜け出さないように監視もしていたらしい。なかなか事情は複雑なようだ。


それにしても気になるのは、一揆が結果として徹底抗戦に至ったこと。この問題に対する言及がないのでそこがちょっと残念なところ。一揆の指導層はどのような目論見を立てていたのでしょう。初めからそのつもりだったのか、どこかで誤ったのか。うーん。

*1:島原は有馬氏が、天草は小西行長が領主。小西行長関ヶ原の戦いの結果、斬首。有馬氏は1616年に日向延岡へ転封。