日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

検証・山内一豊伝説/渡部淳/講談社現代新書

  • 第1章、流浪時代と「黄金十両の名馬」
  • 第2章、秀吉の天下と「天皇献上の小袖」
  • 第3章、関ヶ原の戦いと「笠の緒の密書」
  • 第4章、「土佐二十四万石」の真実
  • 第5章、藩祖夫人の「最後の戦い」


再び来年に向けて学習再開!
とはいえ、一般書にはもうあまり学ぶことも少ないようで、刺激も少ない。購入済みの本を読み終えたら、興味のある部分だけ論文に当たってみようかな。

「千代」は誰か

一豊の妻の名として流布している「千代」ですが、それが養子山内忠義の生母*1の名であるという話は先日言及しました。この件について、『御家中名誉』なる史料、これがどのような物か説明がなく分かりませんが、ともかくその中の祖父江勘左衛門の項に「千代様 妙玖院様御事」とあって、山内忠義の生母・妙玖院の名が「千代」であることが分かるとのこと。
やはり「千代」は別人のようで・・・同名という可能性も僅かには残されているんでしょうけど。

土佐転封は大出世と言えるか否か

「大出世ではなかった!」というのが本書の主題のひとつ。
勿論その論拠は転封時の石高が9万8千石であったという話なわけですが、本書を読んだ限りではまだスッキリしない。土佐拝領の5年後には20万石の表高が認可されていますが、いくらなんでも何の実体もないのに石高倍増が認められるとは思えないのですよね。
徳川家康が初めに一豊に与えようと考えていたのは美作で、その美作の石高が7万石であった、という『土佐実記』なる史料の記事に基づいて10万石あたりを目安にしていたのだろうともしているが、実際に美作に封じられた森忠政には18万石が与えられている。この話は信憑性が低いのではないか?

*1:山内康豊の後妻。一豊夫妻にとっては義妹。