日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

国の文化審議会が国史跡を答申

各県、各地方のニュースには色々出ているのですが、全体的な全国ニュースが見当たらない。文化庁のホームページにもまだ情報が出ない。
仕方がないので、新たに指定される国史跡の中で私が訪ねたことのある2件をご紹介します。

十八日に開かれた国の文化審議会文化財分科会は、美濃国府跡(垂井町府中)を史跡指定する答申を出した。官報公示を経て、県内で二十一件目の国指定史跡となる。全国の国府跡としては十四件目の指定。


美濃国府は、奈良−平安時代律令(りつりょう)政府の出先機関として現在の県南部を統治。垂井町教委が、一九九一−二〇〇三年度に発掘調査を行い、国府の中枢である政庁跡の様子などが明らかになった。
垂井町のほぼ中央に位置し、国府全体の規模は東西約四百メートル、南北約四百三十メートルの約十七万二千平方メートルと推定される。今回の指定対象は、政庁跡とその周辺部約一万五千九百平方メートル。
塀や溝などで囲った区域に正殿や脇殿などの建物を配置した政庁のほか、南に延びる大通り「朱雀路」や、役所が立ち並んでいたと考えられる「東方官衙(かんが)地区」が含まれ、古代美濃国の政治情勢を考える重要な遺跡となりそうだ。
現在は土を埋め戻して原状復帰した状態。町教委は「地権者や住民、専門家らの意見を聴き、史跡として整備を進めていきたい」としている。
中日新聞

美濃国府跡
近江美濃編/2日目/関ヶ原町・垂井町 - 日本史日誌


まずは岐阜県垂井町美濃国府跡。昨秋訪れた際には、野原が広がるばかりで何も見当たらず途方に暮れてしまいましたが、やっぱり遺構は既に埋め戻されていたんですね。まあ、これで石碑とか説明板くらいは設置されることになるんじゃないでしょうか。

十八日に開かれた国の文化審議会文化財分科会で、県内から長浜市下坂の「下坂氏館跡」が史跡に、同市港町の「慶雲館庭園」が名勝に指定された。県内の史跡は四十一件目、名勝庭園は十九件目になる。


下坂氏は南北朝時代から室町時代の間、有力大名の京極氏、浅井氏に仕えた在地領主(土豪)。坂田郡山西部(長浜市周辺)に勢力を持っていた豪族・坂田氏の子孫という説と、河内(大阪府羽曳野市周辺)の清和源氏の血を引く武士が下坂庄(長浜市下坂中町一帯)に入って下坂氏を名乗ったという説がある。こうした土豪は村落ごとに居館を構えて点在していたといい、館跡は中世の湖北地方の農民支配のあり方を考える上で重要な意義を持つ。
中日新聞

下坂氏館跡1
下坂氏館跡2
東近江編/1日目/長浜市・山東町・浅井町 - 日本史日誌
堀外側から階段状遺構 「下坂氏館跡」発掘調査 - 日本史日誌


なんかもう今更書くべきこともないんですが、長浜市のホームページを調べてみたらこれまでは長浜市指定史跡だったとのこと。また、より詳しい紹介ページがありましたのでリンクを張っておきますね。


http://www.city.nagahama.shiga.jp/section/rekibun/bunkazai/bunkazai/iseki/iseki/simosaka.html長浜市ホームページより)