日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第45回「夢の行き先」その2

地下潜伏の義経

ドラマでは大和から伊勢・伊賀を経て近江に入り、さらに洛中に潜り込みましたが、実際にはどこをどのように辿ったのかは謎。
ただ、延暦寺を始めとして義経を匿っていたという確かな情報があり、その他にも洛中を中心に義経が隠れ潜んでいたという虚実ハッキリしない情報は多々あるようで、それらをまとめればある程度分かりそうな気もするんですが・・・ネェ。(^^;

源行家の最期

何故か今回のドラマでこの事件だけ文治二年(1186)5月の出来事*1静御前の鎌倉護送が2月末であることを考えれば、源行家の一件のみ前倒しで差し挟まれた異様さが目に付きます。北条時政も3月末には鎌倉に戻るため京を離れてますしね。それもこれも、どうやら義経の奥州行きが前倒しにされるためのようで・・・次回は佐藤忠信の最期も前倒しになるようですし、あとは7月に梟首された伊勢三郎がどうなるのか注目ですね。
それで源行家なんですが、『吾妻鏡』文治二年(1186)5月25日条によれば、5月12日に北条時定*2常陸坊昌明が、和泉国の在庁官人・日向権守清実のもとにいるとの情報を得て駆け付けると、行家は逃げて民家の二階に立て籠もる*3も万事休す。
とはいえ在庁官人という有力者に匿われていたということで、彼がそれなりに和泉・河内を地盤として掌握していたことが窺えますし、彼にも支持者が居たんだ、と思うと嬉しくもなる(笑)。なんせ今回もひどい最期でしたからねぇ。まあ、灰汁の強さとか往生際の悪さとか、そういったものによってキャラが立っているわけなんですが、そう簡単に自業自得で片づけるわけにも参りますまい。何しろ彼が謀反人として頼朝の追討を受けることになった理由はハッキリしていないのですから。

平泉へ

以前の放送で、義経の語る「夢の都」が平泉に似ている、とか何とか言うシーンがあったように思うんですが。しかもそのときの義経は平泉はまた違うとか何とか言っていたような気が。まあ、別にいいんですけど。調べる気もしませんし。
それにしても「新しき国」を求めるためになんていう勝手な理由で平泉に向かわれたのではたまったもんではないですな。謀反人という己の立場を忘れちゃいないか。私が言うまでもなく多方面で指摘されていることですが、やはりこれだけは言及せずにはいられない。
それに吉次はなんなんだ。あの様子では許可は取ってそうになく独断だろう。ここまで軽くみられている奥州藤原氏って一体・・・。そういえば『炎立つ』では迎える奥州藤原氏の葛藤も、向かう義経の葛藤も描いていたんですけどねぇ。

*1:玉葉』文治二年(1186)5月15日、16日条。

*2:北条時政の甥。北条時政の帰還後もその代官として京に残って洛中警固と義経一党の追捕にあたり、源行家父子に義経の婿・源有綱を討つ手柄を立てています。そういえば、第15回「兄と弟」にこっそり出てきましたが、アレきりでした。

*3:何だか現代の強盗犯みたい。当時においては無意味なんで、第三者を人質に取ったりとかはしなかったでしょうけど。