源義経/近藤好和/ミネルヴァ書房
- 作者: 近藤好和
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2005/09
- メディア: 単行本
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- 第4章、屋島合戦から壇ノ浦合戦へ
- 第5章、義経の没落
- 終章、義経の生い立ちと戦士能力の育成
まず自由任官問題についてですが、頼朝の許可を得ていなかったとしますが、従来の頼朝が激怒したという説を『吾妻鏡』の語句解釈の点から否定、その後の動向からもそれが窺える、としている。概ね賛同できる見解です。
問題は、検非違使左衛門尉という官職の職務が京都での軍事警察活動であることから、義経の追討使派遣を延期せざるを得なかったのではないかとしている点。この時期、伊賀伊勢平氏の反乱があり、それへの対処のために任官以前から追討使構想から外れていたと考える方が妥当ではないだろうか。
現在最も気になる頼朝・義経対立要因の問題ですが、頼朝による謀略と結論付けています。
朝廷・後白河院を巻き込んで、政治的優位に立とうとしたと解釈する謀略史観・陰謀史観なわけですが、これについては私もそのように理解していたこともありました*1ので、分からなくもないのです。何より『吾妻鏡』に従えば、そのように理解せざるを得ないんですよね。
とはいえ、陰謀史観・謀略史観は結果論によるご都合主義的色合いが強く、個人的にはあまり好きになれない。そして好き嫌いの問題だけでなく、何よりもとになる史料『吾妻鏡』該当部分の史実性が疑われているのが何より重要。
これまでに述べてきた腰越状に関する問題*2、そして土佐坊昌俊襲撃は義経挙兵の後であるという指摘*3。
これらを考えれば、陰謀史観・謀略史観には懐疑的にならざるを得ないでしょう。