日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

太平記 第30回「悲劇の皇子」

前回の護良親王逮捕&鎌倉護送から、あっという間に半年後の建武二年(1335)6月に話が飛んで、西園寺公宗長谷川初範)らの謀議、中先代の乱勃発、足利軍の敗退、護良親王堤大二郎)暗殺と続いて、征夷大将軍と関東下向を望む足利尊氏真田広之)が参内したところで次回に続きます。


北山の西園寺家別邸で後醍醐天皇片岡孝夫)暗殺を企む西園寺公宗ら。その中に北条泰家*1(緑川誠)が登場。北条高時の同母弟である彼はもっと前から登場していてしかるべき人物なのですが、金沢貞顕を執権辞任に追い込んだ嘉暦の騒動や、新田義貞を一度は破った分倍河原の戦いなど重要な場面での登場がなく、彼の存在にも触れることがなかったので、てっきり登場はないものと思いこんでいたところ、今回の唐突な登場。ちょっと驚きました。ただ、出ても出なくても同じような端役なのが泣ける・・・。
で、公宗の弟西園寺公重(宋英徳)の密告*2で陰謀が露見し、6月22日に西園寺公宗はタイーホ。8月2日には処刑。
ドラマでは日野資名(須永慶)も謀議に参加し、捕まっていましたが、どうなんでしょう? 彼はその後も生きながらえて持明院統の廷臣として活躍しているのですが、彼は赦されたということなのか。
最後に、この事件に関して最も気になる点は、後醍醐天皇”暗殺”のこと。西園寺公宗北条泰家らは天皇殺害というタブーに挑んだのか? 俄には信じがたいのだが、この件はそのまま受け入れられ、検討されることなくスルーされがちのようだ。


7月14日、北条高時の遺児・北条時行を奉じた諏訪頼重らが蜂起。信濃から上野・武蔵経由で鎌倉を目指し、7月22日には女影原・小手指原・府中・井出沢で足利直義の軍勢を連破。女影原では岩松経家と渋川義季が、小手指原では今川範満が、府中では小山秀朝が、それぞれ討死している。
岩松経家(赤塚真人)はこれまでたびたび登場していたのだが、その最期は高師直柄本明)が足利尊氏に報告するセリフでサラッと片づけられてしまった。足利と新田とを繋いでいた彼の死後、すぐに足利と新田が戦うことになるのは何だか彼の存在の大きさを表しているような気もするけど・・・。
今川範満は今川範国(ドン貫太郎)の次兄。長兄・頼国と三兄・頼周も翌月の相模川の戦いで討死しており、中先代の乱で兄弟三人が亡くなっている。


ところで、藤夜叉(宮沢りえ)とともに美濃の荘園に代官として赴いたましらの石(柳葉敏郎)ですが、領民たちに対して「ましらの石ごろう」(猿野石五郎か?)と立派な名前を称していたのにワロタ。

*1:鎌倉幕府滅亡後は、北条時興と名を改めたという。

*2:ドラマでは一色右馬介大地康雄)に取っ捕まって白状させられた。