日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

戦国時代の終焉/齋藤慎一/中公新書

戦国時代の終焉 - 「北条の夢」と秀吉の天下統一 (中公新書(1809))

戦国時代の終焉 - 「北条の夢」と秀吉の天下統一 (中公新書(1809))

  • 第1章、織田信長北条氏政・氏直
  • 第2章、合戦の序曲
  • 第3章、沼尻の合戦
  • 第4章、小牧・長久手の戦いとの連動
  • 第5章、合戦の中に活きる人びと
  • 第6章、沼尻の合戦後の東国
  • 第7章、秀吉による東国の戦後処理
  • 第8章、「豊臣の天下」と「北条の夢」


沼尻の合戦を中心に、後北条氏と反後北条連合*1の動向を中央の政治情勢と絡めて記述しています。ちなみに小田原征伐はサラッと流していますが、政治的には合戦に至るまでの展開が重要なのでこれはこれでナカナカぐーかと。そもそも小田原征伐に重きを置かれることが多いので、そう言った意味でも貴重。


本書のメインテーマともいうべき沼尻の合戦、これまで全然知りませんでした。まえがきによれば、

この小牧・長久手の戦いと同じ頃、下野国、今の栃木県の南部で一つの合戦が起こった。「沼尻の合戦」である。この合戦、実は今まではおよそ知られることはなかった。詳しく書かれた近年の歴史書ですら、名称が登場する程度であった。江戸時代の編纂物では合戦が行われた年次を間違えたものが大半でもあった。このように注目されていたとは言いがたい合戦である。しかしこの合戦は中世から近世へと移行する時代にあって、実に意味のある合戦だった。

だそうで、徳川家康羽柴秀吉が小牧・長久手で戦っている一方で、関東では家康の同盟者後北条氏と佐竹氏ら秀吉と気脈を通じる北関東諸将が激突したのがこの沼尻の合戦。


で、黒田基樹氏の『戦国 北条一族』を見返してみるとこちらにも沼尻の合戦について記述があったんですが、これがどうも合戦の発端が異なる。
由良国繁・長尾顕長兄弟が北条氏直のもとに出仕した際に、氏直が下野侵攻に向けて両者に城の借用を申し入れたところ、所領没収と早とちりした家臣らが籠城・離反に至った、とされているんですが、本書においてはそんな経緯は一切記されていないどころか、両者の離反は反北条連合のひとり佐野宗綱の説得に応じたものと説明している。


この違いはいったい何なのか? 基づく史料が根本的に違うのか、史料解釈が違うのか。うーん、気になる。気にはなるけど、いったい何を取っかかりにしたらいいものやら。ということで、情報お待ちしております。(^^;

*1:佐竹氏、宇都宮氏、結城氏、佐野氏等々。