日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

太平記 第29回「大塔宮逮捕」

護良親王タイーホ。


建武元年(1334)10月22日。翌月、鎌倉へ護送されています。
この事件で最も注目されるのは後醍醐天皇の立場。ドラマでは勝手な行動を取る護良親王を見かねて致し方なく捕らえることにした、という描き方をしておりましたが、勝手な行動をする護良親王との関係を一歩進んで政治的対立関係にあってそれ故に阿野廉子足利尊氏に同意したものと捉える説や、『梅松論』の言うように護良親王の背後にあって足利尊氏暗殺を謀ったが失敗に終わったのでトカゲの尻尾斬りで責任を護良親王に負わせたとする考え方があります。いまのところどれが妥当か判断は付きかねるので敢えて深入りはせず紹介だけに留めておきます。(^^;


ところでドラマのストーリーにおいて、護良親王との争いを回避するのに楠木正成武田鉄矢)を味方に取り込むという脚色はまあいいのですけれど、その伏線として正成の妻(藤真利子)と嫡子正行が上洛してきて、足利氏の屋敷近くに迷い込んでしまうというのは、いささか話が唐突すぎる。争いを回避したい楠木正成の策であったとするならばまだしも、素で道に迷っただけというのが何とも強引なストーリー展開でちょっと・・・ねえ。(^^;
それから護良親王足利尊氏の対面シーンは格好良かった、というか格好良すぎる。この辺は上手く加減してもらわんと。